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レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第6回

泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(5)

アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。

1977年、フォーライフを退職した泉谷しげるは、1978年にワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の洋楽部門レーベル「アサイラム(Asylum)」に移籍しました。

アサイラムでの泉谷作品は以下の通り。
【アルバム】
①『'80のバラッド』(K-10014Y)1978年10月
②『都会のランナー』(K-10018Y)1979年10月
③『オールナイトライブ』(K-12002Y)1980年10月
【シングル】
①「裸の街/レイコ」(K-13Y)1978年10月
②「デトロイト・ポーカー/女たちへ」(K-14Y)1979年2月
③「俺の女/王の闇」(K-20Y)1979年11月
④「レイ・レイ・レイ/褐色のセールスマン」(K-25Y)1980年3月
⑤「ええじゃないか/I.BO!今夜は徹夜だ」(K-1501Y)1981年2月

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プロデュースに加藤和彦を迎え、よりロック色を強めた内容。セールス的には大売れしなかったが、この時期の泉谷が好きだと言う人は多いと思います。この内容が売上を背負う経営者としての吉田拓郎との意見の相違だったのか。

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こちらも加藤和彦プロデュース。前作同様にタイトなサウンドが心地よい。

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上記2枚と同じサウンドを引き継いだライブ盤。プロデュースのクレジットは吉田健と泉谷しげる。

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レーベルデザインは、1970年中盤から1980年初頭まで米国で使われていたものと同じデザイン。リム上には“MADE BY WARNER-PIONEER CORPORETION, JAPAN”とあります。

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アルバム『都会のランナー』からのシングルカット曲「俺の女/王の闇」。シングル盤のレーベルデザインもアルバムのものと然程の違いはないが、リムには“Under License from Elektre/Asylum/Nonesuch Records, U.S.A.”が追加されています。

アサイラム・レコードは1971年にデヴィッド・ゲフィンにより設立。拠点はロサンゼルス。1973年にはニューヨークのエレクトラ・レコードと合併し、エレクトラ/アサイラムと社名を変えます。すでにワーナー・コミュニケーションズに組み込まれていたエレクトラと一緒になったことで、同じくワーナー傘下となっていきました。

泉谷しげるが移籍した頃のアサイラムは、そういう時期だったということを踏まえておいた方が良いかも知れません。

アサイラム・レーベルから出たアーティストは、イーグルス、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット、ジョニ・ミッチェルなど、多くのシンガー・ソングライター系のミュージシャンが名を連ねています。ボブ・ディランもアサイラムから『Planet Waves』(1974年)を出しています(この後、古巣のコロンビア(CBS)・レコードに戻っちゃうんですけどね)。結構、大物揃いです。

日本におけるワーナーの配給は、先に記したワーナー・パイオニア。また、別稿でワーナー・パイオニアの成り立ちやレーベル変遷はとりあげる予定ですが、ここでは設立の時期だけ述べておきます。1970年、米国ワーナー・ブラザーズ、日本のオーディオメーカーのパイオニア、渡辺プロダクションにより「ワーナー・ブラザーズ・パイオニア株式会社」を設立。1972年にワーナー・パイオニア株式会社に社名を変更している。当時の日本では資本の自由化措置の途中段階であって、海外資本だけでの創立はできなかったようです。

では、泉谷しげるのレコードはワーナー・パイオニアからではなく、何故アサイラム・レーベルからの発売だったのか。
それについて語られている文献や記事を見つけられませんでした。

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こんな文献もあるのですが、“ALL ABOUT”と言いながら、日本国内のアーティスト名は一切あがっていない。レーベルデザインについても一切語られていないし、写真すら載っていない。レーベルデザインの扱いってそんなもんなのだろうか。

そこで、“泉谷しげるのレコードはワーナー・パイオニアからではなく、何故アサイラム・レーベルからだったのか”について、稚拙ながら仮説を立ててみましょう。

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当時に扱っていた主なレーベルは内袋(スリーブ)にあるロゴから察して以下のようなレーベルになる。括弧内にワーナー・パイオニア所属の国内アーティストを記してみよう。

■ワーナーブラザース
(アグネス・チャン、少年隊、狩人、スターダストレビュー、サーカス、矢沢永吉)
■リプリーズ
(小柳ルミ子、あいざき進也、朱里エイコ、中森明菜、畠田理恵)
■アトランティック
(アラン・メリル、ペドロ&カプリシャス、柳ジョージ)
■エレクトラ
(グレープ、さだまさし、小坂明子、矢沢永吉、チャゲ&飛鳥)
■アサイラム
(泉谷しげる、カーティス・クリーク・バンド、伊藤銀次、時任三郎)
■パイオニア
(辺見マリ、北原ミレイ、石川晶とカウント・バッファロー・ビッグバンド)

米ワーナーブラザース傘下のリプリーズ、エレクトラ、アトランティックなどのレーベルは日本においては社内の部門として存在し、そこに国内アーティストを振り分けていたのではないか、と推測しています。その振り分け基準にある程度のジャンル分けは見受けられるが、明確な区分けでもなかったような感じです。この辺について書かれた文献があればいいのですが、見つけられませんでした。

次回は、ワーナー(アサイラム)期と同じ時期に発売されていたSMSレコードを取り上げたいと思っています。

(第6回完)

※かつて会社のホームページで社員が自由テーマでブログ発信をしていたことがあり、その時に私が書いた内容を改編・加筆したものです。