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レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第8回

泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(7)

アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。

アサイラムでの泉谷作品は、評価は高いもののセールスには直結せず、活動は俳優業の比率が上がっていく。1981年にはわずかシングル1枚を発表するだけで、それも自身の出演作である映画『ええじゃないか』のタイトル曲「ええじゃないか/IBO!今夜は徹夜だぜ」(泉谷しげる with SHOT GUN名義)だった。これがアサイラムでの最後の作品となる。

1982年、泉谷しげるはポリドールに移籍する。

ポリドールの歴史は長く、日本におけるレコード会社創世記の頃から始まる。
いまでも残っている大手レコード会社の創設期は以下の通り。

1910年 日本蓄音機商会(1946年に日本コロムビアへ改称)
1927年 日本ビクター蓄音器株式会社設立
→JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
1927年 株式會社日本ポリドール蓄音器商會→ユニバーサルミュージックジャパン
1931年 キングレコード株式会社(大日本雄辯會講談社の音楽部門)

ポリドールのその後の流れとしては以下の通り。
1953年 日本ポリドール株式会社
1956年 日本グラモフォン株式会社に社名変更
1971年 ポリドール株式会社に社名変更
1972年 フォノグラムがポリドール・レコードを子会社化し、ポリグラム傘下に入る
1992年~93年 各部門がポリグラム株式会社へ移管される
1998年 シーグラムがポリグラムを買収し、ユニバーサル ミュージックが発足

こうして流れを見ると、1970年代初頭からアナログ盤が陰りを見せる1980年代後半までのポリドールには、合併や分裂などの波乱はあまりなかったように思われます。

泉谷しげるの場合、レコード会社移籍を機にサウンドの変化が顕著に表れているように思える。フォーライフ期に自己プロデュースでサウンドを追い求め、アサイラム期に加藤和彦と共に理想のサウンドを突き詰めるもセールスに結びつかず、ポリドール期はサウンドの模索に入る。

泉谷しげるのポリドール期の作品は以下の通りです。
【アルバム】
①『NEWS』(28MX2037)1982年5月
②『39°8'』(28MX2073)1983年9月
③『REAL TIME』(38MX1165/6)1984年3月
④『ELEVATOR』(28MX1200)1984年12月
【シングル】
①「サイレントマン/地下室のヒーロー」(7DX-2016)1982年4月
②「39°8'/秘密なきブルー」(7DX-2042)1983年8月
③「UNDER PRICK/HAIR STYLE」(7DX-1352)1984年12月

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『NEWS』ジャケットのイラストは泉谷本人によるもの。

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レーベルも、JASRAC表記や回転数までが手書き文字を採用。
せっかくなのでリムの権利クレジットも枠もロゴも手書きだったらおもしろかったのに…。
ポリドールの基本レーベルデザインは朱赤の下地に上段にロゴマーク、センターホールを長方形で囲われている。
おそらく、70年代初頭から80年代末まで、大きなデザイン変更はないように思われます。

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ポリドールでの2作目のレーベルも手書きタイプ。個人的にはこの4枚の中では『39°8'』が一番好きです。

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ポリードールは3作目でライブ盤。この流れはアサイラムの頃と同じ。
レーベルは手書きではなく、通常タイプに。

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そして、ポリドールでのラストアルバムもレーベルは通常タイプ。

この頃のシングル盤は所有していないので、シングルにも手書きタイプがあったかの確認は取れていません。

ポリドール期の特徴のひとつに、参加ミュージシャンにムーンライダーズ周辺の名前がクレジットされていることが挙げられる。白井良明、岡田徹、鈴木さえ子、鈴木慶一、矢口博康、福原まり。そして、エキゾティクスの吉田建、柴山和彦などだ。
『NEWS』~『ELEVATOR』までの雰囲気は暴力的ではなく、当時ニューウェイヴと言われていたサウンドに近いものもある。この後、泉谷が覚醒していくのだが、それは前段階にポリドール期の葛藤があったからこそなのだと私は思っています。

(第8回完)

※かつて会社のホームページで社員が自由テーマでブログ発信をしていたことがあり、その時に私が書いた内容を改編・加筆したものです。