見出し画像

レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第10回

泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(9)

アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。

低迷期からの脱出。吉田建(B.)、村上ポンタ秀一(Dr.)、仲井戸麗市(G.)、下山淳(G.)からなるLOSERを引き連れ、ビクター(Invitation)への移籍。アサイラム期、ポリドール期があったからこその覚醒期とも言えます。

Invitation(インビテーション)はビクター音楽産業株式会社の社内レーベル。ウィキペディアによれば、1978年4月設立という事になっているが、1977年に発売された芸能山城組『やまと幻唱』(中村とうようプロデュース)が、インビテーション第1弾のアルバムではないかと思われます(参考:Discogs)。品番はVIH-6001で、5000番代や6000番はネット検索に引っかかってきません。シングルの第1弾は1977年6月、日暮し「オレンジ色の電車」(VIH-1001)のようです(参考:Discogs)。従って、1977年設立ではないかと推測しています。

インビテーションに所属していたアーティストは、もっとも有名なところで言えばサザンオールスターズなのだが、デビューアルバム『熱い胸さわぎ』(1978年)から5thアルバム『NUDE MAN』(1982年)まで。それ以降はTaishitaレーベルからの発売となっています。他には、シーナ&ザ・ロケッツ、ARB、浜田麻里、BOØWYなどもInvitationから出ていました。

泉谷しげるのビクター(Invitation)でのアナログ盤は
①『吠えるバラッド』1988年1月
②『HOWLING LIVE』1988年7月
③『'90s バラッド』1989年11月
までとなり、これ以降はCDフォーマットのみの販売となります。

画像1

画像3

他のレーベルでは概ねリムに表記される製造・権利クレジットはロゴマークの下に2行で記載されています。斜めのストライプ地はコントラストが強く、スミ文字の可読性が低いように思えます。

シングルでは、
①「野生のバラッド/肉弾列車に赤いバラ」1987年12月
②「長い友との始まりに/眠れない夜(ライブ)」1988年4月
③「春夏秋冬/ロックンロールにゃ金かかる」1988年11月
までがアナログ盤での発売で、次の「ハレルヤ/流血のならわし」(1989年10月)以降はCD盤のみの発売ではないかと(確証がないので)推測しています。

画像2

画像11

シングルのレーベルでは製造クレジットが左側、権利クレジットが右側の中断に記載されています。

画像4

インビテーション移籍後の3枚目シングルB面に収録された曲「ロックンロールにゃ金かかる」は当時、泉谷しげるが所属していた事務所“マザー エンタープライズ”の社歌とサブクレジットがあり、なんと片面シングルが存在していました。入手したのはサンプル盤。これは一般にも流通したのでしょうか?

画像5

画像6

当時“マザー エンタープライズ”は“マザーアンドチルドレン”というレコード会社を持っており、このシングルはそのマザーアンドチルドレンのレーベルになっている。ロゴは「M」と「C」を山と三日月に見立てたもので、レーベルはカスタムデザインになっています。
マザーアンドチルドレンからは他にも、ハウンドドッグ、尾崎豊のレコードが出されている。

画像10

画像9

シンプルなデザインですが、これもカスタムデザインのような気がします。

画像8

画像9

こちらのアルバムの方は、間違いなくカスタムデザインですね。

“マザーアンドチルドレン”は、1990年に米ワーナー・ミュージック・グループ傘下となったMOON RECORDSと合併。その後、GARLANDレーベルを発足させ、頭文字を取って社名をエム・エム・ジー株式会社(MMG…Moon・Mother&Children・Garland) となりました。
その後のワーナー関係の合併・分裂の中で、マザーアンドチルドレンのレーベルは消滅していると思われます。(ハウンドドッグ『BACK TO ROCK』(1991年)までは、マザーアンドチルドレンのレーベルを確認。)ちなみに、MOONレーベルは2020年現在でも、山下達郎、竹内まりやのCD、アナログ盤で存在を確認できる。MOONレーベルについては改めて別稿でとりあげてみたいと思います。

さて、9回に渡って泉谷しげるのレーベル移籍を辿りながら、様々なレーベルを見て参りました。冒頭に記載した通り、1989年以降はCDフォーマットのみの販売となりました。

これ以降の泉谷しげるの移籍変遷も一応確認しておきましょう。1993年に出た『Wild Blood』は同じビクター内でも別のSpeedstarレーベルから発売となり、しばらくここで数枚のアルバムを発表。1998年にはユニバーサルに移籍し、再びポリドールレーベルから『私には夢がある』が発売されました。2001年には自主レーベル iZより『起死回生』、2002年には『R-15』を発売。2007年にはアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を担当し、ドリーミュージックパブリッシングより発売されました。2008年にはポニーキャニオンに移籍し、『すべて時代のせいにして』を発売。2012年には自主製作で『突然炎のように!』を制作し、2014年にキングレコードよりそのリマスター盤を再発。2019年には『スキル/栄光か破滅か!』をコンサート会場と通販のみ自主販売。もう、ひとつの所に留まっての活動とはこの先もなさそうですね。

いろいろな問題を解決出来ていない状況ではありますが、サブタイトルである「泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン」のシリーズはこれを以って、一旦終了とさせていただきます。謎や疑問点の解決、後追い情報があれば、また取り上げるつもりです。

個別にレーベルの特集も組めれば良いと思っていますが、次回以降はどういう切り口でレコードレーベルを見て行こうか。
あまり読まれてない自覚もあるけど、個人研究のまとめだしな。
まずは材料集めからかな…

(第10回完)

※かつて会社のホームページで社員が自由テーマでブログ発信をしていたことがあり、その時に私が書いた内容を改編・加筆したものです。