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レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第3回

泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(2)

アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。

前回、エレック・レコード期の泉谷しげるのアルバムを中心に見ていきましたが、今回はシングル盤を見ていこうと思います。

黒沢進・編著による『資料日本ポピュラー史研究 初期フォーク・レーベル編』(白夜書房発売 SFC音楽出版/1986年発行)によれば、エレックにおける泉谷しげるのシングル盤は以下の2枚だけ。

①「春のからっ風/おー脳」(EB-1014)1973年11月
②「眠れない夜/乱・乱・乱」(EB-1032)1974年10月

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シングル盤のレーベルデザインは、白ベースに上段がマゼンタのグラデーション、下段がオレンジのグラデーションとなる円。ロゴは上段中央に位置する。アルバム用とは異なり、権利クレジットはリムに沿って書かれています。

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スリーブの裏面には、既発のアルバム紹介が載っています。
エレックにおいては、アルバム『光と影』(ELEC-2021)からのシングル・カットが初シングルのようだ。泉谷しげるはシングル盤からのデビューではなく、いきなりアルバム発売だったようです。

では、この「春のからっ風」が初シングルだったのか、というとそうではないようです。

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実は、アルバム『泉谷しげる登場』で1971年11月にデビューした1ヶ月後、なんとCBS SONYから「帰り道/義務」(SOLA-2)がシングルで発売されている(発売日はWikipedia、並びにDiscogsを参照)。

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レーベルデザインは、CBS SONYの基本デザインのまま。オレンジベースにスミ文字。レーベル面にはエレックの文字は一切記載がありません。

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スリーブ裏にはエレックのマークと(制作)というクレジットがある。が、何故エレックからシングルが発売されずにCBS SONYからの製造・発売なのかの理由を推測できるものはない。

ちなみに前後の品番(SOLA-1)と(SOLA-3)が何だったのかを調べてみた。
●美岐陽子「涙が微笑みにかわるまで/ミモザの雨」(SOLA-1)
●大木康子「港まつりの夜はふけて/雨の終着駅」(SOLA-3)

どうやらこの2枚は1972年発売のようで、エレックとは関係はないようです。こうなるとSOLA-2品番「帰り道/義務」の販売が1971年であったかどうかも怪しくなる。また謎が増えた。
また、エレックに所属していたアーティストで、同じようにCBS SONYからシングル・カットしていた人はいなかったのだろうか。

いた。
吉田拓郎。

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1971年11月にエレックより発売されたデビューアルバム『青春の詩』(ELEC-2001)に収録されている「今日までそして明日から/ともだち」(SONA 86194)が1971年7月にCBS SONYから先行発売されている。B面収録曲は1971年 6月にエレックから発売された『よしだたくろう オン・ステージ ともだち』からの音源。吉田拓郎はエレックからCBS SONYへ移籍しており、その時期は1972年1月だとされている(Wikipedia参照)。つまりこのシングルが発売された時期はまだエレック所属ということだ。この頃から水面下で移籍の話はあったのかもしれないが、デビューしたばかりの泉谷しげるにもCBS SONY移籍の話があったのかどうか、謎は尽きない。

そして、もう一枚、「春夏秋冬/ひねくれ子守歌」(AV-3)がAARD-VARKというレーベルより1972年9月に発売されている。

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AARD-VARKというレーベルは、1970年に設立されたキャニオンレコードのレーベル。

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スリーブ裏のクレジットからもわかるようにスタジオ録音の『春夏秋冬』(ELEC-2006)からのシングル・カットではなく、『野音 唄の市』(ELW-3002)からのライブ音源です。
「アルバムの発売が中心だったエレックレコードと同社が所有する原盤の作品をシングルとして発売する契約を結び、その発売用レーベルとして誕生した。」とWikipediaには書かれています。

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スリーブ袋にも、レーベルの権利クレジットにもキャニオンレコードの文字が確認できる。

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レーベルデザインは、濃いオレンジ色をベース。上段に黒下地にオレンジ文字でロゴが配置されている。

さらに、泉谷しげる名義ではないのですが、彼が亀渕昭信(当時はニッポン放送DJであり、のちにニッポン放送代表取締役社長、現在は退任)と結成したカメカメ合唱団名義でアルバム『人生はピエロ』(ELEC-2020)がエレックより1973年7月に発売されているということは、前回に示しました。

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それ以前にシングルがRCA(RCAビクター株式会社)から発売されていたというので、そのシングル盤を見てみましょう。

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「この歌きくべし/ココロのシャンソン」(JRT-1090)

オレンジのベースに左側に白抜きで横書きの「RCA」ロゴを半時計回りに配置。アダプター不要なセンターホール手裏剣タイプ。権利クレジットは右側上段に2行で無理矢理固めた印象。ジャケ、レーベル共に発売年のクレジットはない。一体、いつの発売だったのだろう。

テレビのアニメ番組『もーれつア太郎』のイメージ・ソングで作詞も赤塚不二夫。この番組が放映されていた時期は1969年4月から1970年12月まで。まずはこの期間内だと推測。

そこで、このシングル盤の品番の前後を調べてみましょう。
●麻丘ゆみ「悪魔とわたし/冷たいあなた」(JRT-1089)1970年6月発売
●津々井まり「首ったけ/夜霧はあなたの涙」(JRT-1091)1970年7月発売

これで凡その発売時期は知ることができます。

このことより、泉谷しげるはエレックからのデビュー(1971年11月)前にカメカメ合唱団名義で先にデビューしていたのだろうか、という疑問が沸いた。

Wikipediaなどには「カメカメ合唱団は亀渕昭信と泉谷しげるが結成したスペシャルユニット」だとする解説が載っているが、実際には亀渕昭信による架空の合唱団というのが実態であり、アルバム制作にあたって泉谷しげるが参加したと考えるのが妥当なのではないでしょうか。実際にアルバムを聴いても泉谷しげるが参加している楽曲は数曲だけ。

このシングル盤を聴いてみても、亀渕昭信のボーカルを重ねているだけのようで泉谷は参加していないように思える。つまり、1970年の時点ではカメカメ合唱団はエレックとの契約でもなく、泉谷も絡んでいないというのが推論。

1971年5月にはキャニオンレコードよりカメカメ合唱団「少年探偵団/赤胴鈴之助」(CA-53)も発売されている(未所有盤)が、これにも泉谷しげるは絡んでいないと思える。入手する機会があれば、改めて加筆させていただきます。

結果的には、何故に1stシングル「帰り道」がCBS SONYからの発売だったのか、2ndシングル「春夏秋冬」がAARD-VARKからの発売だったのか、という疑問が残りますが、それはまた解かり次第、ご報告したいと思います。また、キャニオンレコードについては、別稿にて取り上げたいと思っています。

ということで、今回はここまで。


(第3回完)

※かつて会社のホームページで社員が自由テーマでブログ発信をしていたことがあり、その時に私が書いた内容を改編・加筆したものです。