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レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第4回

泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(3)

アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。

泉谷しげるが移籍してきたレコード会社のレーベル面を見ていくという切り口連載で、前回まではエレックレコード期を中心に見て参りました。

今回は、その後に泉谷しげるが小室等・吉田拓郎・井上陽水と一緒に1975年に設立したフォーライフ・レコード期を見ていきましょう。
フォーライフ・レコードの初代代表取締役社長は小室。井上・吉田・泉谷は取締役。プロデュース権限やレコード会社の体質に不満を持った小室・吉田によって企画され、井上・泉谷が誘われた形のようだ。

泉谷のフォーライフでの第1弾はまたもやライブ盤(エレックもライブ盤が第1弾でしたからねぇ)。

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『ライヴ!!泉谷〜王様たちの夜〜』は1975年8月の発売。

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フォーライフの基本レーベルは上からブルー→白→オレンジへと変化するグラデーション地。
上段中央にロゴ。センターホール上段に回転数、品番、ジャスラック・マーク、盤面数表示と権利クレジットがある。

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帯の下段に販売元/株式会社ポニーのクレジットがある。
アーティストによる自主運営のレコード会社に対し、日本レコード協会は各レコード会社にプレスも販売も認めないという旨の通達を行ったようです。そこへキャニオンレコード(現ポニーキャニオン)から救済が入り、販売委託を関連会社のポニーが受け持ったようです(wikipedia/フォーライフ・レコードの項を参照)。プレス・販売元はキャニオンレコードが行ったとの記述もありますが、ジャケット、レーベルのクレジットには記載がありません。

続いてスタジオ録音のアルバム『家族』1976年4月に発売されました。

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フォーライフから出された泉谷の新譜は以下のとおり。
①『ライヴ!!泉谷〜王様たちの夜〜』(FLL-8001)1975年8月
②『家族』(FLL-4003)1976年4月
③『イーストからの熱い風』(FLL-5004)1976年10月
④『光石の巨人』(FLL-5009)1977年6月

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③はまたもやライブ盤。渡米してL.A.の老舗ライヴハウス「トルバドール」でのライヴ。
④の名義は“イズミヤ・シゲル&ストリート・ファイティングメン”となっている。

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そして、小室・吉田・泉谷・井上の4人名義でのアルバム『クリスマス』が1976年11月に30万枚限定盤として発売されている。
それにしても泉谷ファンは、1976年に3枚のアルバムを購入しなければならなかったのは家計的にも厳しいですね。
また、エレックが1976年6月に倒産し、泉谷しげる名義の旧譜販売もフォーライフから(ジャケットも一新されて)出されることとなったようで、1976年のレコード店には泉谷しげるのフォーライフ盤が溢れ返っていたと想像できる(...実際にはそんな仕入れ方しないと思うのでそんなこともないんでしょうけどね)。

もう一つ、レーベルとは違う話ですが、『クリスマス』の中に雑誌「For Life」の案内が入ってました。

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発行/フォーライフレコード、発売元/八曜社となってます。実物を見たことがありません。気になるなぁ。古本屋にあっても買う気はないですけど…。

(第4回完)

※かつて会社のホームページで社員が自由テーマでブログ発信をしていたことがあり、その時に私が書いた内容を改編・加筆したものです。