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「なんで、みんなと同じページ開かなあかんの?」1年生の国語の時間に


雹が降った夜🌃

初めて
1年生の国語の教科書を開く子たち。
今年度、新しくなった光村の教科書。
私もまだその先を知らない。

3ページめくったところで、
「先生がテレビに写しているページと
同じページになっている?」
と聞いた。
そうしたら、
「何で、
 同じページを開かなあかんの?」
と答える1年生。

どうして、小学校では、みんなと
同じことをしないといけないのか?

この問いに、はっとする。

この
答えがひとつではない問い
の答えを、
大人は、しっかり考えないといけない
のではないか。

初めての国語のノートに先生が、
一人ひとりの名前を書いて手渡す。
初めての自分の名前の練習。

ある
ひとりの子のノートに目を奪われる。
その子の名前が、
まるで、芸術作品のような線描で
描かれる。
先生のお手本の横に、
真似をして書こうとしたのだろう。
ひとマスにひと文字という概念は、
まだない。
ひらがなは、
初めて書いたのかもしれない。
一般的な書き順という概念も
恐らくない。
絵を写すように、
見たように文字を書く。
マスに囚われず、
文字の大きさも形も違って、
1枚の紙に文字が調和する美しさ。

今まで見たことがない、
芸術作品を前にしたような
気持ちになった。

私は、彼にとって
とてつもなく偉大な瞬間に
立ち会ってしまった。

この子をマスという、
一般的な文字という、
学校という、
社会という、
誰かがつくった世界という枠に、
入れ込んでしまっていいのだろうか?

もし、私が
アシスタントではなく担任だったら、
初めての彼の国語のノートに
大きく花丸を付けることができたのに。

24.04.16(火)

一つひとつ違う
ひょうも美しい






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