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回顧録

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#コロナ禍

そして出国【回顧録10】

波瀾万丈の準備期間を終え(お分かりの通り、実家でゆっくりなんてとてもじゃないけど出来なかった)、地元の友達や家族に見送られながら、羽田空港からの出国を控え4日前に東京前入り。

実は東京前入りした後も、少しだけ残っていた病院寮退去の最終手続き(まだ残ってたんかい)、
海外転居届けと健康保険・国民年金解約(転居届けは出国14日前からしか受け付けておらず、住民票を残していた都内区役所で手続きするにはこ

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退職、引っ越し、留学準備。大変すぎて泣きそう。④【回顧録9】

恐怖のワクチンパスポート取得編。
(注:長いです。途中で飽きたら飛ばしてね。)

実家に腰を落ち着け、いざ取得作業に取りかかると、マイナンバーカードが必須であることを知る。

当時マイナンバーカードを取得していなかった私、冷や汗。

それならと、マイナンバーカードの取得方法について調べると、なんと取得までに1ヶ月を要するという…。

出国に全然間に合わない…。

この辺で滝汗が止まらなくなり、顔面

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退職、引っ越し、留学準備。大変すぎて泣きそう。③【回顧録8】

前記事に書いた、現時点で終わっていない準備項目、渡航直前なのに終わってないこと多すぎでは?と思われた方も多いだろう。

分かる。
でも言い訳をさせてほしい。

退職前後に嘆いていたように、ギリギリまで働いていたのと引っ越しも重なって、手をつける時間の余裕も心の余裕も全くなかったのである…。

またコロナ関連の準備に関しては特に、申請出来る期間が渡航何日前等と決められていたものも多かった為、渡航直前

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退職、引っ越し、留学準備。大変すぎて泣きそう。②【回顧録7】

2023年4月1日、怒涛の引っ越し期間を終え、遂に生まれ故郷の鳥取県倉吉市に舞い戻る。

社会人当時帰省する頻度は多くなく、コロナ渦ということも輪をかけて、実家に帰るのはなんと実に4年半ぶりであった(えそんなに?書いててびっくりした)(注:家族、地元の友人とは仲良しです)。

久々の実家暮らし、はじめての無職。
出国までの2週間弱、思いきり羽を伸ばして満喫しようと思っていた。
が、そうはいかなかっ

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退職、引っ越し、留学準備。大変すぎて泣きそう。①【回顧録6】

さて、いよいよ留学準備編に突入。

この頃、正直忙しすぎてあまり記憶がない(笑)。

それもそのはず、退職、引っ越し、留学準備、そして渡豪をたったの3週間足らずの間に詰め込んでしまったから…。
今思うとかなり無謀なスケジュール。本当によくやったなと思う。

まず退職、引っ越しについて。

留学の申し込みも完了し、遂に派遣として2年間勤務していた病院を退職することを決意。
まぁ半年毎更新の派遣社員だ

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オーストラリア留学を決意するまでの経緯④【回顧録4】

カナダ留学計画があっけなく終了した後、ほどなくしてオーストラリアがワーホリビザ及び学生ビザ発行を再開し始めた。
2021年12月のことだった。

正直、この頃海外留学について調べすぎて(?)、オーストラリアとか王道過ぎてどうなん…日本人多いし…と持ち前のあまのじゃくを発揮して(いやそれで言ったらカナダも王道中の王道…)応募を躊躇する気持ちもあった。

でもはっきり言って選択肢無いし(まだ留学受け入

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オーストラリア留学を決意するまでの経緯③【回顧録3】

カナダのワーホリビザに応募して1ヶ月以上が経つが、政府からまだ承認の連絡が来ない…。

まぁでもコロナ後ワーホリビザ発行再開して1回目の募集だし、政府も色々大変なんかなとか思いながら、半分焦り、半分のんびりと連絡を待っていた。

それに応募の締め切りは近付いてはいるけど、まだまだビザ発行数に余裕があるし、”応募”自体は完了しているのだから、締め切りが過ぎたところで受かってたら連絡は来るだろうとたか

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オーストラリア留学を決意するまでの経緯①【回顧録1】

ひとつ前の記事にも書いた通り、7年間ポンコツナースをしていた。

都内のでかい大学病院に就職できたはいいものの、それはもう大変すぎて、就職した瞬間から「早く辞めたいなぁ」なんて思っていた(それは言い過ぎかもしれない)(でもほとんどそう)。

実を言うと、元々海外留学には全く興味がなかった私だが、周りの同期達や幼馴染みが続々と留学していくのを見て、「なんかかっこいいかも…」と興味を持ち始める。

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