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父・村田高詩のこと

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父、村田高詩について書いたものをまとめました。 父は59歳でパーキンソン病と診断されてから18年になります。介護度5。 特養に入所している為、3年間面会が叶いませんでした。やっ…
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#村田高詩

父記録 2024/7/23

気温36℃
母は休み。
運転中、病院手前の路地で横から来た車と接触しそうになる。私の右側不注意。気を引き締めなくては。
ひとりでの面会は静かだ。
口腔ケアスポンジで口の中をお掃除しようとすると、父は口の中のスポンジを吸おうとした。
「何か飲みたい?桃ネクター買って来ようか」と尋ねると父はコクリと頷いた。
誤嚥が怖いのでほんの少しだけ。
プルトップ缶は保存が出来ないので残りは自分で飲んだ。

父記録 2023/7/20〜ワクワク〜

父記録 2023/7/20〜ワクワク〜

「昨日はね、落ち着いてて。『あたしよあたし。残念ながらあたしよ〜』って言ったらね、笑ってるの。『なんだ由美子か〜』ってお父さんの台詞も言ってあげたの。そしたら笑ってんの。」
母が楽しそうに報告する。

「乱暴な由美子ちゃんですよ〜ほーれ!」
母が蒸しタオルをバサっと父の顔に被せた。
本当になかなか乱暴だ。
ふたりで父の顔と頭と手足を拭く。
「お父さん、足首あっためるといいんだってよ」
蒸しタオルで

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私の好きなおじさん

私の好きなおじさん

2022.1.27 アマンダ猫支援ブログより

父には親友が居た。上田さんという。
北海道から上京して、舞台の大道具作りのバイトをしていた頃に知り合ったという。
一緒に大森の安アパートに住み、日雇いのバイトをして、いつもつるんでいて、母と知り合った時も一緒で、新婚旅行まで一緒に行ったという。
母は始め、どちらと付き合ってるんだかよくわからなかったそうだ。
父が母と結婚して上田さんは高知の実家に戻っ

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Kさんのこと

Kさんのこと

2019.7.26 バーバラ村田facebook投稿より

今日は父の介護施設の引越しでした。
民間の有料老人ホームから、区内特養のショートステイへ。

父は59歳でパーキンソン病の診断を受けました。
そこから9年間、次第に休みがちになりながらも仕事を続けましたが、ある日店の前で動けなくなり、救急搬送され入院。
37年続けた店は閉店し、長野で療養生活を送ることになりました。
自宅での生活、老人保健

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朋あり遠方より来たる

朋あり遠方より来たる

2019.11.1 STUDIO T&Yブログより転載
————————————————
先日父が久しぶりに来店したのは、この方に会うためでした。
本池秀夫さん。
革人形師。
アトリエMOTO’S主宰。
鳥取県無形文化財保持者。

十数年ぶりの再会。
父と本池さんの出会いは四十数年前、父のゴローズ時代にまで遡る。
その頃ゴローズの工房は青山のマンションの一室で、本池さんは同じマンションの上階に住ん

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希望と情熱

希望と情熱

2021.2.4
父から継いだ店「STUDIO T&Y」のブログに書いたもの。

毎年毎年、年賀状が間に合わず寒中見舞いになってしまうSTUDIO T&Yです。

その寒中見舞いも今年はかなり遅くなってしまいました。

表の絵は昨年、村田高詩が描いたアクリル画です。

父のいる施設が面会禁止になって約一年。

会うことは叶いませんが、好きな食べ物を差し入れたり、たまにスカイプ面会やガラス越し面会で

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金のお守り

金のお守り

私が19の時に父からもらった純金のチャーム。

父がゴローさんに名入れしてもらったもの。

ゴローさんにとって私は小さい時のまま止まっていたらしく、いつも父は「赤ちゃん元気?」と訊かれていた。なんなら19歳の時も。

ゴローさんに初めて会った時点で3歳だったので既に赤ちゃんではなかったのに。

19の私はこの小さな金のチャームの価値などまるで分かってなかった。

インディアンジュエリー、シルバージ

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村田高詩HOSTORY 2

村田高詩HOSTORY 2

2019.5.6
国鉄を辞め、生まれ育った北海道を出て、布団と画材とわずかな衣類だけを背負い汽車で上京した父。

国鉄時代に貯める筈だったお金は結局貯まらなかった。貯金はほとんどない。

先ずは、一足早く上京していた知人のアパートに転がり込んだ。

札幌のデッサン教室で知り合った翼夫(ヨクヲ)さんは桜ヶ丘に六畳一間の部屋を借りていた。

六畳一間。

ヨクヲさんもよく転がりこませてくれたものだと思

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村田高詩HISTORY 1

村田高詩HISTORY 1

2019.3.10
私の家の近くの介護施設に入所した父に、この頃から少しずつ昔の話を聞き取り始めました。

第1話は北海道編。

私の父、村田高詩は北海道は滝川で生まれ岩見沢で育った。
未熟児で生まれ、体はあまり強くなかったものの手先が器用で、雪で二階建ての城を作ったり、柳の枝で弓や木刀を作っては友だちに配るような少年であった。
まだ小学校に上がる前のこと。
仲良くしていた向かいのお家の倉庫の中か

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父のたからもの

父のたからもの

2019.3.1
創業時に店内に置いていた村田高詩手彫りのレザー看板。

現代美術活動を経てゴローズに入社した父は、レザー彫刻を主に担当していました。

独立する時にゴローさんから頂いた肩書が「goro’s brother」。

父は、言葉に言い尽くせないほど嬉しかったそうです。

「ゴローさんと2ショット写真とか撮らなかったの?」

と訊くと、

「恥ずかしくて…言い出せなかった」

と父。

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四十二年ぶんの指輪〜さいご

四十二年ぶんの指輪〜さいご

2019.2.16
父の指輪物語、最終章。
ゴローズのみとさんはとても親身に探してくださったけれど、やっぱり作りかけの指輪は見つからなかった。しばらくして父は「やっぱり由美子に指輪を買いたい」と言った。サプライズで贈りたかった父のために私はこっそり母の薬指のサイズを測り、父と夫と三人で原宿に向かった。夏だった。

四十年以上前の、父の古巣。

原宿に来るのは父にとって一体何年ぶりだったろう。

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四十二年ぶんの指輪〜その2

四十二年ぶんの指輪〜その2

2019.2.14のブログより

父がゴローさんに結婚指輪をお願いしてから一年ほど経ったある日。
突然ゴローさんから父に電話があった。
父は相手がゴローさんだとわかった瞬間にビッ!と背を伸ばし、「…はい!…はい、一人です!」
と答えた。
「こども、何人?」と訊かれたそうだ。
「じゃあイーグルを三羽飛ばそう」とゴローさんは言って、電話は切れた。
父は緊張しっ放しだった。
そして「ああびっくりした。急

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四十二年ぶんの指輪〜その1

四十二年ぶんの指輪〜その1

2012年に私がブログに書いた記事を紹介させてください。

父・村田高詩の師匠・ゴローさんに対する想いを少し、知って頂けたらと思います。
*ゴローさん:高橋吾郎さん。東京・原宿のシルバージュエリーブランドgoro’s 創始者であり、日本に於けるインディアンジュエリーブランドの先駆者でありカリスマ的存在。

【四十二年ぶんの指輪】

2012.1.19

唐突ですけど、父が母に結婚指輪をプレゼントす

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バカ者よ、

バカ者よ、

今日は両親の結婚記念日。
母からのメール。
「お父さんいれは、ごちそう食べる日
若いときも大変だったけど、途中も大変だったけど、二人で、できそこない同士で面白かったかな。今は、もうなくなっちゃった意欲があった。バカ者よ、ね。」

高詩と由美子。