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Kさんのこと


2019.7.26 バーバラ村田facebook投稿より

今日は父の介護施設の引越しでした。
民間の有料老人ホームから、区内特養のショートステイへ。

父は59歳でパーキンソン病の診断を受けました。
そこから9年間、次第に休みがちになりながらも仕事を続けましたが、ある日店の前で動けなくなり、救急搬送され入院。
37年続けた店は閉店し、長野で療養生活を送ることになりました。
自宅での生活、老人保健施設、小規模多機能施設、有料老人ホーム、長野、国立、新宿と、状況に応じて暮らし方、場所を変えながらやってきました。
お金のかかり方も様々でしたが、母も私も働いている以上介護施設のお世話にならざるを得ません。

店は父の生き甲斐でした。
私たちは自宅での生活よりも、働き、店を再開し、その店に父を再び連れてくること、を選びました。

どの施設にもきちんと父の個性を尊重してくださる方がいて、本当によくして頂きました。考えの合わない方ももちろんいましたが、それぞれの施設の中で、出来る限りやって頂いたと思います。

今日退去したホームにはKさんという介護士さんがおりました。
Kさんは50代半ばから60代前半くらい?の女性。
一年半前に入居した時に部屋で出迎えてくれたのがKさんでした。
金髪に近い茶髪、大きな目の周りに真っ黒にアイシャドウを引いたしゃがれ声の…まるで往年の女性ハードロッカーのようなKさんに私たちは一目で痺れました。

Kさんは昔原宿のテント村でアクセサリーを売っていたとか、父の師匠・ゴローさんとも交流があったりなど父が喜ぶような共通点が沢山あり、父はKさんとのおしゃべりを楽しみにしていました。
Kさんの夜勤の日は、皆が寝静まった夜、一緒にネックレスを組みながら昔話に花を咲かせたそうです。

一見ぶっきらぼうな雰囲気のKさんでしたが、
「Kさんが夜勤の日は、朝、あったかい蒸しタオルで顔を拭いてくれるんだ。気持ちいいんだ。」とその細やかな心配りを喜んでいました。
私が父の誕生日に施設でパフォーマンスした時には廊下の片隅をパーテーションで区切り、「バーバラ村田さま」と札を下げ、お菓子と飲み物を置いた小さな控え室を作ってくださいました。
(私の希望でパフォーマンスさせて頂くので一切のお気遣いなく、と伝えていたのです)
感激してお礼を伝えても、いつも低い声で「…いえ、別に…」とはにかみながら立ち去っていくKさん。
父が入院した時には支給外の介護品をそっと持たせてくれたりもしました。

夜な夜な父と組んだアクセサリー。
一番に見るのはもちろんKさんで、気に入ったものを何度か買い取ってくれました。
割引すると受け取ってくれず、いつも正規価格を可愛らしい封筒に入れて渡してくださいました。

今日、別れ際にKさんが父にかけた言葉
「これからも誇りを持って、生きてくださいね。俺は村田高詩だぞ、って」
涙が溢れそうになりました。
Kさんが居てくれて、本当によかった。

昨日、父に言われた通り組んだフェザーネックレス。
Kさんへの感謝の贈り物です。


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