朋あり遠方より来たる
2019.11.1 STUDIO T&Yブログより転載
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先日父が久しぶりに来店したのは、この方に会うためでした。
本池秀夫さん。
革人形師。
アトリエMOTO’S主宰。
鳥取県無形文化財保持者。
十数年ぶりの再会。
父と本池さんの出会いは四十数年前、父のゴローズ時代にまで遡る。
その頃ゴローズの工房は青山のマンションの一室で、本池さんは同じマンションの上階に住んでいた。
「カランコロン、とサボの音がすると村田さんが来た合図で」
木と革で出来たサボサンダル。
当時はゴローズで作っていたそうだ。
「サンバイザーもヒットしたよね。村田さんがカーヴィング入れて。いつもサンバイザーのパーツが村田さんの前に積み重なってた」
これは私も覚えている。カーヴィングの入った革のサンバイザー。母もかぶっていた。
今思い返してもあれはカッコよかったなあと思う。
「マンションのお風呂に魚油溜めて、ベルト浸けてたよね」
当時のゴローズのスタッフと本池さんは互いの部屋に遊びに行ったり来たり、終業後に連れ立って教習所に通ったり、仲良くしていたそうだ。
本池さんが話して下さった昔の話は力強くキラキラとしていて、父も母も当時を活き活きと思い出したようだった。
十数年前、父がパーキンソン病の診断を受けた、ちょうど同じ頃、本池さんは末期ガンの診断を受けて入院していた。
「村田さんがお見舞いに来てくれて、『本池さん、死んじゃだめだよ』って言ってね」
父はこの日帰宅して、「本池さんすごく元気そうで退屈してたよ」と言った。
その後本池さんのガンは奇跡的に快癒した。
その数年後、本池さんが「徹子の部屋」に出演した時、両親はそれはそれは喜んで、私にまで電話してきたのを思い出す。
父は今、あまり目がよく見えない。
声を出すのがきついので言葉もとても少なくなった。
けれどこの日、訪ねて来た本池さんの時計バンドを見て、「それ、いいね」と言った。
それはワニ革を象ったシルバー製で、まるで革の時計バンドのように、留める部分に工夫が凝らされていた。
父はその時計を手にとってしげしげと見つめ、長いこと触っていた。
その夜、父を送って行きながら「あの時計、カッコよかったね」と言うと父は「バンドを留めるところが凝ってるよなあ」と言った。
どこまで見えていたのか分からない。
けれど、見えていたんだと思う。
朋あり遠方より来たる亦楽しからずや。
「村田さん、こうして店にいるのがいいよ。それが一番いい。」
別れ際、本池さんは何度もそう言って高円寺の街に消えて行った。
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