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【掌編小説】赤眼の彦五郎

見た目が一ミリくらいの
イチゴそっくりな体をした蟻たちが
往来で右往左往しているところを
あわや踏みつけるところであった

赤い点粒てんつぶが地面でなにやら
チカチカしていたので
すんでのところでとどまれた

訊けばそのイチゴ蟻
体の大きな昆虫に
冬を越すための大切な食糧をすべて
横取りされてしまったという

そのなげきの蟻酸ぎさんたるや
イチゴの酸味もかくやとばかりに
しゅんしゅんと甘く薫り
不可思議なるえにしをもって
通りすがりの浪人ろうにんの膝をはたと打たせた

あいわかった!
赤目の彦五郎と名乗ったその浪人ろうにん
言うが早いか
おのが左目にむんずと指を入れ
取り出したるは紅玉こうぎょくの如き
爛々らんらんしたた丹赤にあかの目玉
それをもったいぶる素振り一つなく
ごろっとイチゴ蟻にくれてやった

イチゴ蟻たちは
躍り狂わんばかりの喜びようで
わっと一斉に目玉に群がると
このご恩は終世忘れませぬ!
と叫びながら
その紅玉こうぎょく御輿みこしさながらに担ぎ上げ
意気揚々と巣穴の方へと帰っていった

よもやよもや!
さてもさてもだ!
はっはっはっはっ!

見届けた彦五郎
そう高らかに笑いあげ
やにわに風通しがよくなった
左の眼窩がんかを開け放ったまま
ずんずんずんずんと再び歩き出した

その晩
宿場の里で一夜の宿を借りた彦五郎
すっかり涼しくなった左眼のことなど
まるで意に介する風もなく
気味悪がって
他の客が近づかぬことをいいことに
大部屋の囲炉裏脇で
あっけらかんと大の字になると
そのままこんこんと眠りについた

翌朝
ふぁーあと伸びをするように
起き上がった彦五郎
目をこすろうとして驚いた
がらんどうになったはずの左目に
何かがたっぷり詰まっているではないか

試しに
右目を閉じ
左目だけで眺めてみると
三世十方さんぜじっぽうあまねく天地
この世の終わりよろしく燃え立つあか色で
人の魂のかたちまで
ことごとく透けて見えるようであった

よもやよもや!
彦五郎は左目にむんずと指を入れ
一体何が詰まっているのかを確かめた

果たしてそれは
見惚れるほどに美しいあか色の
苺ジャムであった
朝摘みのイチゴを
丁寧に丁寧に一つずつつぶしたような
絶品の苺ジャム

それがどういうわけか
目の奥の奥深く
どこまでほじくり出しても詰まっており
嘗めても嘗めても終わらない
それどころか嘗めた端から
からだぢゆうに生きる力が
こんこんと沸き上がってくる

ジャムの付いた指をすっと
鼻の前で嗅いでみる――と
そのしゅんしゅんと薫る甘さに
彦五郎は無論心当たりがあった

さてもさてもだ!
蟻の衆!
汲めども尽きぬ苺ジャムとは
願ってもおらぬことだが
ぬしらの報恩感謝ほうおんかんしゃのおん振る舞い
あいわかった!

しかれど面妖な
どうやら俺の左目には
人の魂のかたちが見えるようだ

泣いている者
困っている者
怒っている者
苦しんでいる者…
娑婆世界とはかくも燃え盛る
地獄穢土じごくえどであったか

よもやよもやだ!
はっはっはっはっ!
しからば俺のこの命
骨まで使ってぬしらの煩悩弔ぼんのうとむらうまでよ!

俺にはまだ右目がある!

いや
目も耳も鼻も口も
腕も手足も有り余っている!
それどころか
汲めども尽きぬジャムまである!

よしんば
それで駄目なら
心がある!

おうさ!
そいつを団子にして
喰らってもらおうじゃねえか!

妻子に死なれ
家名断絶の上
ゆえあってお家はお取り潰し
身も世もなく生きながらえて
自暴自棄よろしく
虚しく朽ち果てていくところであったが
どうで死ぬ身の一踊り
我が意を得たりとはこのことよ!

蟻の衆!
この平連赤目彦五郎実篤たいらのむらじあかめひこごろうさねあつ
地獄極楽紙一重!
おのが血潮の如きジャム果てるまで
いざ!
推して参る!

彦五郎の両の目がたちまちカッと見開き
ジャムのように燃え上がった

赤眼(せきがん)あるいは隻眼(せきがん)の彦五郎

【了】

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水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。