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暴力環境の変化の図

ーー更新中ーーー

『私に起きたこと』のいじめ、ハラスメント、暴力環境の変化の流れを視覚化することを試みる。


暴力スタートから声をあげ、暴力終了となるまで

蛙さんの井戸が出来るまで

2016年、右も左も分からないこの土地、言葉も文化も違う海外生活の中で、この町の日本人集団の存在を知り嬉しくてたまらなかった。
それが、いつの間にか。。。私への暴力に。
私が気づき出したのは、2017年の夏からである。

登場人物は、言語学校のクラスメイトと私のみ。
ここで、『間抜け』なければ、2024年まで続く私への暴力、エスカレートを防げていた。
完全なる『間抜け』対話抜けである。

私の知らぬ間に、ここから全てが始まっていた。
私との対話がないばかりに、不確かな個人情報とデタラメ情報は拡散し、私の孤立へと進む。
加害者は、勝手に盛り上がり、傍観者は見て見ぬ振り。
情報がなく、私は、加害者どころか状況も把握出来ずにいた。
誰がこんな仕打ちを?私が何をしたのか?何もかもが分からない。。。
私が悪いのだ。と自分を責めるしかなかった。

蛙さんらの井戸が作られていく時期

訳が分からないまま、日本人コミュニティ内での孤立が進む。
子供がいないという条件から、元々、この日本人コミュニティに密着していなかったのも重なり、私と私に起きている暴力について対話を取る者をみつけることが出来なかった。

友達だ。っと言っていた彼女ら(傍観者の枠集団?)もまた洗脳され、蛙さんへと?私は、この環境、蛙さんらの井戸の中では、安心安全を感じられない。ここは、私の居場所ではない。と思うようになってきていった。

ぼっち選択

2018年、クラスメイトの対応により、息ができなくなるほどひどく傷つく。
そして、日本人からの私へのいじめ、暴力を自覚する。
私の暴力について、日本人に尋ねてもはぐらかされ、返答を得られない為、起きていることに不本意ながらも、答えの出ないことで自分を責めることをやめることにした。
私は、自分の人生の優先順位に則って、蛙さんへと化した日本人らとの距離を少しづつおくことを決めた。
それから、蛙さんら(加害者集団)と関わる機会は減っていった。

2019年には、フランス在住すべての繋がりのある日本人と完全に距離を置くことを達成する。
『誰が?』がはっきりしない状況化の中では、誰を信用して良いのか?
誰に頼って良いのかが分からなかった。

このぼっち選択によって、私と関わる人が被害を受けるというリスクを防ぐ目的もあったが、何よりも、関わった人間関係が絞れることで、自分自身が『誰が?』を把握しやすくなり、私への暴力の状況把握へ繋がるであろうという今後への希望があった。

(後の2023年に、この選択が、誰が?を突き止め、蛙さんらの逆拡散によって、身勝手に『私に問題がある』とされていた内容を明確にしてくれる。)

蛙さんらの井戸が広がっていく時期

無視、暴言、すれ違いざまのコソコソ一方通行。否定批判侮辱の誹謗中傷の拡散が見受けられる。
他からの視点、情報がないため、自分でさえも、自分自身を信じられなくなりそうで、
暴力環境により、自分を失いかけた。

私は、私が必要な情報も与えられず、状況の把握ができず、訳が分からずにいた。職場の日本人へ助けを求めるも悪循環へ。感染洗脳されていく。
私と、対話を取る者が見つからない。。。
同郷の日本人らから暴力を受けているなんて、家族にも言えない。。。
私が何をしたのか?誰がこんな事を?私は、どうしたら良いのか?????

私は、自分を抑制することをぜず、『らしさ』全開で、『私の人生』を、ただ、生きていただけ。それさえもままならない。。。

2020年私が選んだこと

希望がある。と信じる?か信じないか?それだけだった。

声をあげること

2020年、息子を授かったのをきっかけに、リアルを諦め、オンラインで声をあげる。
状況を何とか変えたくて。状況を知りたくて。小さな幸せを感じて過ごしていたくて。
ただ、それだけだった。

声をあげたことによる否定批判


いつからかは、今の所不明だが、この時、すでに日本人集団は分裂?していたようだ(2024年)。
暴力を正当化するスピーカーおばさんと蛙さんら。
スピーカーおばさんと距離をとっている傍観者の枠にいる蛙さんら。
私との対話を取ることなく、変。かまってちゃん。ネガティブ。と私の声をかき消してしまう。

声をあげたことが、『出来事』として伝わっていく。

私の声は、聞こえないのではなく、むしろ、故意的に聴かない?声をあげてもなお、対話を取る者は見つからない。
私の声に対する否定批判と侮辱を被せ、周囲が私の声を聴かないよう、声をかき消してしまう。

私には、隠蔽と責任転嫁と捉えられ、声を聴こうとさえしない全ての人が、加害者に映り出した時期である。頼れる人はいなかった。絶望を味わう。

逆拡散スタート

暴力を正当化するスピーカーおばさんと蛙さんらの媒体者(アンチ蛙)。
スピーカーおばさんと距離をとっている傍観者の枠にいる蛙さんらの媒体者(アンチ蛙)が現る。
私は、誰だか知っている(2024年)。

感染した媒体者(アンチ蛙)が現る反面、私の声を聴く者も現れてくる。
洗脳された蛙さんらによる逆拡散によって、皮肉にも、口コミ、噂話という形で私が必要である情報の収集が可能になり、状況の把握へと繋がっていった。

私は、SOGIハラスメントを起こしたスピーカーおばさんを知った。
洗脳された蛙さんらは、常に、私の声を聴かない。

何となく、蛙さんらが身勝手に『私に問題がある』としている内容が、把握出来つつあるのだが。。。
それは、
・誰にとって問題なのか?
・なぜ、蛙さんらが問題として取り上げているのか?
・それを問題とすることで何が生み出されるのか?
呆れるほど、疑問である。

時代遅れのSOGIハラスメント発覚

時代遅れのSOGIハラスメントが発覚。私は、差別を覚悟し、パンセクシュアルであることをカミングアウトした。

カミングアウトに対して、身勝手なSOGIハラスメントが始まる。
洗脳感染された蛙さんらの『逆拡散』によって、多方向からの視点が入ってき始める。
蛙さんらは、井戸に引きこもっているせいか、気づいていない。

私は、それぞれの逆拡散によって、日本人集団に分裂があったことを知る。スピーカーおばさんと距離をとっている傍観者の枠にいる蛙さんら。の存在が見えてくるのだが、やはり、私との対話を取ることはない。

スピーカーおばさんが、私を加害者扱い、責任転嫁していた身勝手な理由。彼女が置かれている状況は、彼女自身が招いたこと。ゲロゲロ迷惑である。(2024年)。

スピーカーおばさんと距離をとる蛙さんらからは、私への暴力は過去のことであること。もしくは、なかったこと。との否定批判。
ここでも、蛙さんらは私の声を聴くことはない。『声を聴かない逆拡散』常に、私へのSOGIハラ否定批判、人格への侮辱?を繰り返す。

蛙さんらの井戸が広がっていく時期2  SOGIハラスメントの逆拡散

私へのSOGIハラへの否定批判と差別が降り注ぐ。
それでも、声をあげ続けるが、私の声が届くことはない。
この状態が、健全であるとは思えない。暴力が許される環境。。。
希望を失いかけた。


スピーカーおばさんと蛙さんらの私への暴力(SOGIハラ)への正当化。

どーろ泥状態を、私の声を聴かず、何が起こっているのか?も考えようともしない為、蛙さんらの井戸の中は、分裂。他責。嘘。妄想のどーろ泥状態が続く。

スピーカーおばさんと距離をとる蛙さん。
スピーカおばさんからの私への暴力に気づき出したのか?恐怖のためか、見て見ぬふりを突き通す。

多方向からの視点が加わる 希望を見つける


これは、個人間を超えた状態があるということ。蛙さんらのどーろ泥の井戸の外から見る視点。
これこそ、私の希望だった。

ぼっち選択をしている私視点では、この状態は、健全な環境であるようには見えていなかった。それが、私視点でなくても、他から見ても、私と同じ感覚であることを知れた時期だった。

ここから、身勝手なSOGIハラスメントと典型的で間抜けな大人のいじめである。との逆拡散は続き、『私に起きていること』への共通認識と理解を得られていくことになる。

典型的な間抜けな大人のいじめの逆拡散

傍観者枠の日本人蛙さんらは、ただ、見ているだけ。。。
見ようともしていないかも。。。

もう、この状態は長くは続かないっと思えてきた時期。

『私に起きていること』への共通認識と理解を得られていく中、
私の思いと彼ら、井戸の中の蛙さんらとの捉え方の相違が生じている。
SOGIハラスメントに関して以外の、『私の存在』への誹謗中傷の逆拡散が進んでいく。

家族と彼らが支えとなる。

蛙さんらの井戸が広がりきった時期3 身勝手なSOGIハラスメント+典型的な間抜けな大人のいじめとの逆拡散

自らの逆拡散に気づかない蛙さんら。
この図は、蛙さんらの哀れさを意味している。

この状況は大きく分けて3回目。
何度も経験すると、この状況は全く怖くない。
この状況が起こっていること自体が、逆拡散になるから。
そして、
逆拡散によって、『私に起きていること』を知る者らの存在と、この長きにわたる状況の記録の全てを残しているから。

怖いのは。。。
このまま助ける大人が間に現れないということ。
見つからないままで終わること。

恐怖の洗脳と感染で作られる環境

私は、ここで、洗脳された媒体者(アンチ蛙)を見つけることが出来た。

ありもしない恐怖で、この環境が作られていると気づく彼ら。
一方通行で、私の声を聴いていないと気づく彼ら。
個人間での問題ではなくなっていると気づく彼ら。
何かがおかしい。と、当初の私のように気づく彼ら。
この状況は、健全ではないと気づく彼ら。

侵害されていた私のアイデンティティと人権が守られていく

私の声を直接聴いてくれている。
なりすまし?の存在も見つけた。想定内なので、誰だか予想はついている。

私は、蛙さんらに何も感じない。
私の人生の障害にもならない。
ただ、自分の人生を生きて下さい。
それだけ。

私への暴力8年目 いじめ終了

それぞれの言い分が存在する。その時の状況や気持ち、環境によって捉え方も一人ひとりが違う。
答えは、一つじゃないんだと思う。だた、確かなのは『私に起きたこと』は存在するということ。

・いじめ終了の定義

・カミングアウトの難しさ

・分からないことによる苦悩

・対話を取らなくても良い条件

・蛙さんらの井戸の中で起きていることのまとめ


加害者化した傍観者?が作り出す暴力環境/連鎖

傍観者枠に囚われる蛙さんらの動向ー認められない

今までの蛙さんらの言動の矛盾、自分らの都合が悪くなる。対話のタイミングを自ら逃し、洗脳でか?自分らの非を認められない。。。
加害者であることを受け入れられない。

傍観者という枠なんてない!!
暴力の助長と容認をしている者。それは、加害者だ!!
暴力、犯罪、殺人未遂、アイデンティティと人権侵害。無意味で傲慢な私の権利の剥奪!!
ただの抑制と抑圧じゃないか。


対話なく、強制的な『公認暴力』を促し、私は、暴力を受けて当然の存在であること。を公にしている。
それは、自分らは蛙さん。加害者であること。を逆拡散しているということになっている。
虚言のなりすまし?らの存在。
古株スピーカーおばさんら。
守秘義務を怠る自称?専門家の存在。

約8年をかけ、かなりどーろ泥だけど、
当初の暴力が始まった2017年の状態に近いところへと整理されたかな?と同時に、
日本人以外から来た情報から、自称?専門家の存在を確信する。

私が、『私に起きていること』を声にし、問題発起をしていくことは、
・誰にとって問題なのか?
・なぜ、蛙さんらが『私』を問題として取り上げているのか?
・『私』を問題とすること、で何が生み出されるのか?
もう、疑問を持ち、問題を直視しようじゃないか。

傍観者枠に属したい加害者の動向ー認めたくない

なぜ、私の声を聴かない?
傍観者という枠に身を置いている蛙さんら、事実がどうであろうと自分らには責任が無い。安全枠にいる。と思い込みたい。

私の感覚の中の傍観者枠の加害者区分け。
『私に起きていること』が逆拡散された今、焦点は、被害者から加害者へ。
そして、傍観者枠の加害者へと。

罪を認めたくない者にとって、私の声は、聴きたくないもの。聴く必要がないもの。押さえつけたいもの。虐げたいものになる。

当事者でもないと思い込んでいるため、私の話も聴かない。聴こうともしない。
また、多方向からの視点が向けられていることに今だに気づいていない。
よって、逆拡散も容易に行う。

事実がどうであろうと、暴力は止まず、状況はエスカレートしている。
このことから、罪の意識がなく、今までの自分らの言動を正当化したいとする者らの存在が、暴力の連鎖を引き起こしているのがわかる。
この暴力の連鎖環境は、当事者意識のない、傍観者に属したい者、その周囲によって起きている事になる。

私への暴力の隠蔽逆拡散

当事者意識もなく、安全枠?という傍観者の枠に属し、私の声も聴かず、罪の意識もなく後先考えもなしに連鎖を起こす割には、
焦点の矛先が自分らに向くと、出来事自体を放棄するように動き出す。
多方向からの視点が向けられていることに気づいていない蛙さんらは、水面下での暴力の継続と連鎖へ。
それは、私に起きている出来事の隠蔽への逆拡散となっている。

なんの権利があり、私の幸せに生きる権利を剥奪しているのだろうか?
私に、『生きづらさ』を与えることに、何を見出しているのだろうか?

常に罪を認められず、考えなければならない問題を放棄する。隠蔽への井戸再形成ならず。。。
多方向からの視点があることにも気づかず、隠蔽を公に逆拡散している。

蛙さんらの捉えている『私に問題がある』という焦点は、重要ですか?
私は、蛙さんらの犠牲になるべき存在なんでしょうか?

私が、『私に起こっていること』を声にあげること。
私が私でいること。『私』が問題ではないということ。
私が私のアイデンティティと人権を主張すること。
非の全くない私が、身勝手に批判否定と侮辱を長期間受けていたこと。
対話と同意が一切なく、個人情報が容易に流失しているということ。
について、自分らに都合が悪いと私に嫌悪感を抱く者らは誰なのか?

自らがついた虚言を正当化したいだけのなりすまし?
対話なしの古株スピーカーおばさん?
同意なしの自称?専門家?
この街の日本人ら(私と絡んだこともない洗脳感染された日本人ら)

残骸の井戸の中

暴力の連鎖。連鎖。連鎖。


傍観者の属したい加害者なのか?私は、それらを『アンチ蟻ら』と呼ぶ。

それは個人ではなく複数。私と絡んだこともない洗脳感染された日本人らで、暴力の連鎖によって残骸の『蛙さんの井戸(の中)』から、湧き出た。私は会ったことも話した事もない。
泥どーろの井戸の中に収まったまま、同じこと、同じ場所をゾロゾロしてる。


ここで、起きている問題はなんでしょうか?



蛙さんになりたいですか?用語集
暴力の流れの図

2016〜2030年までの流れとmission

あゆぼっちプロフィール

スライド作成のためのメモーMISSONと視点のまとめ
私のmisson 2023
私のmission 2024

マガジン
蛙さんになっちゃた日本人ー海外日本人ママの闇の世界 ー
蛙さんになっちゃた日本人ー海外日本人ママの闇の世界 2章ー
蛙さんになっちゃた日本人ー海外日本人ママの闇の世界 3章ー
2024年〜
蛙さんになりたいですか?


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