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声をあげるということ

声をあげる=権利を主張する


被害者は、声をあげることが怖い。
今以上の否定批判と侮辱が怖い。
大事な人を傷つけられる、傷つけるのが怖い。
もしかしたら、私が間違っているのかもしれない。
私の居場所が何処にもなくなってしまいそうで怖い。
世間の、社会の、周りの目が怖い。

不安と恐怖。
だから、声があげらえない。
声をあげるという発想を持つことさえない。

隠れる。逃げる。息を殺す。
なるべく、目立たないように、まるべく目につかないように、その日をその日をただ過ごす。

私は、それを、責められない。
その気持ち、私にも分かるから。

それでも、私は思ってしまう。
声をあげない限りは、いじめは無くならないだろう。って。

声をあげる=現状を把握


実際、被害者である私も、声をあげる前は、怖くて怖くて怖くて、
2020年に意を決して声をあげた(youtube)後も、
目の前を立ちはがかる波がなんども何度もこれでもかってくらい現れて、

まるで、私が『悪』かのように、
根も葉も無い嘘話から、
原因は私にある。だの、
加害者は私(責任転嫁)。だの、
ネガティブすぎる。だの、
ポジティブになれ。だの。
あげだしたらキリがないほど、何もかもが劣勢だった。
追い込まれっぱなしだったこともある。
自分を責め、追い詰め、もう諦めようか。。。とも、思った事もある。
私が、死ねば。。。とか、よからぬ思考も。

私には、襲いかかる恐怖に追い込まれ、飲み込まれそうになる気持ちは痛いほどよくわかる。
否定。バツバツバツ!だと、言われ続けたら、確かに狂ってまう。

ただ、

声にあげず、いじめの出来事が表に出ないことで、加害者が加害者であることに気づく機会を得られない。
本当にウソでしょ!?ってびっくりするほど、被害者の痛みなんてわかっチャーいない。から。

そうしてるうちに、周りは、流れに身を任せ、AならA、BならBへと楽な方へ足並みをそろえ出し、元の解決しなければならないことからは遠いていく。=同調。
元のキッカケも、原因も問題もどこかに消え、いじめという行為だけが残って行く。(下手したら、世代を超えて残って行く可能性もある)
誰かが、いじめの存在を認識していたとしても、自らリスクのある変化を起こすことは避けたいだろう。

こうやって、
声をあげないでいる。っということは、同じことが繰り返される。という事になる。
流れが変わるキッカケがない。

誤解しないで欲しいのは、
声を出さない被害者がバツ×だなんて話じゃない。
声に出す事がバツ×とされる雰囲気のある流れがなんだかなーと思ったりする。

なぜなら、声をあげないのは、被害者に限らない。
見てるだけーの人数の多い傍観者が声を出したっていいのに。とも思うけど。
それも、恐怖と不安。
さほど、被害者の声に出せない思考と変わらないのだろう。
多数派の傍観者が、なかなか声があげらない。
声をあげるという発想を持つことはない?

このままでいいのだろうか?

声をあげ続けること

私が、声をあげ続けることが出来たのは、
ここまで私の声を聞いてくれた彼らの存在がとてつもなく大きい。

何かがおかしいと強く感じた違和感、
このままではいけないという危機感、そんな私自身の気持ちを感じ、
気づかないフリをして、やり過ごせなかった。

自分の気持ちを感じるのは、実は難しいけど、大事なこと。
自分の気持ちを聞いて、それを表現するということは、もっと難しいけど、もっと大事なこと。

自分が何をどう感じているのか?
自分はどうしていきたいのか?

それが、自分の中でハッキリとしてくると、それを表現することが出来るようになる。

表現してみると、

その表現した声を、聞いてくれる人たちに出会える。

その声を、次の段階につなげることが出来る。

すると、波が立ちはだかったり、飲まれそうになった時も、
声をあげ続けられる。

その間は、いつも自分自身に寄り添ってあげる。

小学生の女の子

私には、いつか見たニュースがイメージの残像として残っているのか?聞いた話がイメージとして残っているのか?よく分からないのだが、よく小学生の小さな女の子が、心に?頭にイメージとして居る。

私は40代のおばちゃんで、ママ友いじめ。大人のいじめに遭い、必死の思いで声を上げ続けて、ここまで来た。

そして、
じゃあ、もしこの子だったら?って考える。

私のイメージの中では、彼女は教室にポツリ。

それを見て、こう思う。

この教室の中で、この子が一人で声をあげれるだろうか?
あの小さな空間で、毎日同じ顔の中で。
家と学校の往復。
その家と学校の世界しか知らない彼女。

小さな、小さな体は、その場にいる。

周りは、まるで、彼女が『悪』かのように、
何らかの原因は彼女のせい。
彼女が悪い(責任転嫁)。
ネガティブで暗い。
ポジティブでなんていられない。
ひとりぼっち、何もかもが劣勢。
追い込まれっぱなし、
自分を責め、追い詰め、もう諦めようか。。。
誰にも頼れない。
疲れた。
死。。。。

小さな体。

バツ×だと、言われ続け、頼れず、助けもなく。。。

私は40のおばちゃん。その、おばちゃんが必死にここまで来た。

小学生の彼女に一人で声を上げろ!というのは、酷。

私は、
大人の私たちは、
何を思う?

あの小さな体の子供が選ぶ道。

動かずにはいられない。
動かない理由がない。

実際に、「死」を考える小さな子供達は存在している。

あなたは何を思う?





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