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むさしの写真帖

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「写真っていうのはねぇ。いい被写体が来たっ、て思ってからカメラ向けたらもう遅いんですよ。その場の空気に自分が溶け込めば、二、三秒前に来るのがわかるんですよ。その二、三秒のあいだに…
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#フィルムカメラ

むさしの写真帖

むさしの写真帖

古いデジカメについて書いています。
ただしこれらの記事は2018年前後のものであるので、カメラのほとんどは手許にないのをご承知おきください。

追記: ネタが尽きたので写真、カメラにまつわること。またアラカンおじさんの日常について書いたりします。(2023年霜月朔日)

「7」というフィルムカメラ

「7」というフィルムカメラ

「フィルムカメラ」と書いてみて、なんか変な感じだと思った。
これは割合新しい言葉ではないか。
デジタルカメラが当たり前になる前まで、カメラといえばフィルムを使うものだったから、わざわざ「フィルムカメラ」と銘打つ理由がない。
カメラ=フィルムカメラだったのだ。
ぼくは白亜紀の人なので、これを「フィルムカメラ」と断りを入れるのに違和感があった、という話だ。
年寄りの戯言だな。

Canon EOS 7

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陸橋を渡る

陸橋を渡る

憂鬱に沈みながら、ひとり寂しく陸橋を渡つて行く。
かつて何物にさへ妥協せざる、何物にさへ安易せざる、この一つの感情をどこへ行かうか。
落日は地平に低く環境は怒りに燃えてる。

一切を憎悪し、粉砕し、叛逆し、嘲笑し、斬奸し、敵愾する、この一個の黒い影をマントにつつんで、ひとり寂しく陸橋を渡って行く。
かの高い架空の橋を越えて、はるかの幻燈の市街にまで。

萩原朔太郎

2012年11月5日のブログより「懐かしき80's」

2012年11月5日のブログより「懐かしき80's」

昔書いていたブログ(現在放置中)を思い出したので抜粋。

高校生の頃、本当はいけないんですが、通学にウォークマンを聞いていました。もちろん「カセット」ですよ。
まだそこそこに高価だったと思うんですが、1 年間の風呂洗いという労働対価を支払うことで入手したと記憶しています。
当時はレコードの時代ですから、LP 盤を買うと一ヶ月の小遣いが吹っ飛びました。
ですので、ようやくあちこちで姿を見るようになっ

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和製ズミクロン〜Fujica 35EE

和製ズミクロン〜Fujica 35EE

仕方ないので借り物で。

このカメラは結構長く使っていた。
レンズがいいという話を聞いてモノを探したら意外とあっさり見つかった上にめちゃくちゃ安かった。
詳しくは下記リンクで(手抜き)

1961年の発売というから、昭和36年頃のカメラである。
「正しい電気露出計(セレンメーター)、超高速1/1000秒(レンズシャッターカメラとしては,世界初と言われる)、明るいファインダーを備えた」フジカ35SE

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遡る〜ミノルタ (2)

遡る〜ミノルタ (2)

ミノルタの話をしてるのにソニーのリンク。
まぁ、カメラがお好きな方にはご承知のとおり、ご承知おきでない方にはざっとご説明しておかないと...。

ミノルタは大阪に本社を置いていた光学機器のメーカーだったが、2003年にコニカと合併しコニカミノルタとなりカメラ事業も継続していたが、2006年をもって同事業から撤退している。
伴いミノルタが持っていたαマウントを含めたカメラ事業は提携を発表していたソニ

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遡る〜ミノルタ (1)

遡る〜ミノルタ (1)

ミノルタのカメラに関しては、ぼくが知っている(使っていたことのある)機種は少ない。
初めて手に入れたのはα-Sweet II、次にα7000、XE、ミノルタフレックスの順になる。

入門機

最初に手に入れたα-Sweet IIはエントリーモデルだ。
フィルム一眼レフ、エントリー機の先鞭をつけたのはやはりキヤノンのEOS Kissだっただろう。
これがパパママ層にヒットしたのだ。
これを見て他社も

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lomography

lomography

LOMO LC-A

LC-Aをトイカメラのジャンルに入れていいんだろうか。
このカメラで撮れる写真はいたく「ちゃんとしてる」ので「トイ」という形容詞は当てはまらない気がする。

ロシアのカメラだが、ぼくが持っていたのはどこで作られたものか分からない。
というのは、このLC-Aは数奇な運命を辿っているからだ。

このカメラは他のロシアカメラの例に漏れず、モデルになった機種が存在する。
それがR-D

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Flexaret Ⅶ 〜ビロード革命前夜

Flexaret Ⅶ 〜ビロード革命前夜

チェコスロバキア

ご存知と思うがチェコスロバキアは数奇な運命を辿った国である。
革命以後、現在はチェコ、スロバキア、ウクライナに分離したが、古代から中世、近世に渡り、戦争や革命に翻弄され続けた歴史がある。

このフレクサレットというカメラは旧チェコスロバキアのカメラメーカーであるメオプタ社で作られていた二眼レフで、ドイツのそれとも違う独特な操作性を持つカメラである。

戦前よりチェコスロバキアと

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OLYMPUS XA

OLYMPUS XA

全部のせ

1979年に発売された、この小さなカメラは国産コンパクトカメラのひとつの完成形といっていいだろうと思う。
このXAの後、XA2、XA1、XA3、XA4とシリーズ化していく。
好みはそれぞれだし特徴もそれぞれあるのだけど、かかったであろうコストとその機能を照らし合わせるにつけ、XAにかけるオリンパスの意気込みを感じる渾身のカメラだ。

レンジファインダー

レンズカバーを開くと撮影が可能

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Robot Ⅱa

Robot Ⅱa

またもや小さいのを。

24×24

このカメラは少し異端である。
使うフィルムは通常の35mmフィルムだけども、24mm×24mmのロボット判と呼ばれるサイズの正方形の写真になる。
最初のⅠ型は1934年に発売された。
ドイツ製である。

スプリングによるモータードライブを内蔵していて、Ⅰ型では一度のスプリング巻き上げで24枚の連続撮影だったが、Ⅱ型になってからは48枚の連続撮影が可能になった。

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PENTACON SIX TL

PENTACON SIX TL

どこで買ったんだかすら忘れてしまったが(たぶんあそこだな、というのはあるけど)、これも気に入っていたカメラのひとつ。

PENTACON SIX TL

発売は1966年だというからだいたいぼくと同年代だ。
これもローライフレックスと同じ120mmフィルムを使い6×6の正方形の写真が撮れる。

レンズ交換式の一眼レフで、同じようなカメラにペンタックスの67(通称「バケペン」)というのがある。
バケ

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鷹の目テッサー

鷹の目テッサー

KYOCERA TD

記事のとおり、フィルムカメラの中古コンパクトが軒並み値上がりした中、今も昔も相変わらず不人気のカメラ。
この写真はこのカメラで撮影している。
京セラがカメラ?と若い方は思うかも知れないが、ヤシカを吸収合併しているのでサムライなどいくつかのカメラを京セラブランドで販売していたのである。
これは合併後、初の新製品であってヤシカブランドでも発売されている。
操作にクセがあり、ちょ

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