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コンポジット・アプローチ

本来関連していない全く異なる体系を組み合わせて結論を擦り合わせ、
的中率を導き出すのが伝統的な占星術の特徴の一つとして挙げられる。

サインとクォドラントなどは典型的と言える。
この場合、サインとハウスは分けて考える必要がある。

西洋占星術であれば、ゾーディカルとムンドーを併用したり、
インド占星術であれば、パラーシャラとジェイミニを併用したりする。

その組み合わせに成功していると思われるものをロジカルに駆使する。
その知識の集積と淘汰が伝統的な占星術の土台であり現在の姿である。

コンポジット・アプローチによる合成占星術、総合占星術と言える。
当然、各時代、国、地域で発祥した有効な技法を数多く含む事になる。

古典におけるホラリーや、インドにおける誕生時刻修正において、
このロジックが機能する時の感覚は、経験した者にしか解らない。

これに対し、日本占星術はコンポジットを極力排除する。

むしろ要素を削る事で、事実との符合を絞り込んでいく。
焦点は より原理的に、よりシンプルに整理した方がいい。

また、複数のディレクションに頼らない、唯一の占星術でもある。

他に逃げ道がなく、習得に行き詰まりやすい。
有機的で直観力と感性が要求され、ロジカルではない。

手相や人相を一瞬で見分けるのに似ているかもしれない。

だが、瞬時に、単純に、異例の切れ味で、端的に事実を描写する。

中国から流入したものを土台としながら、全く異なる独自体系となり、
その有効性と切れ味において類例のないものとなった漢方や手相術等、
日本人の感性により研ぎ澄まされたものは戦後の欧米政策で失われた。

民衆は自国の優れた文化には目を向けず、外国にかぶれた。

その傾向は今も変わらない。

今後、世界中の文化が、その国の人々によってリバイバルするだろう。
海外の文化の良さを知り、それ以上に自国の優れた文化を知るだろう。

どれもいい。

だが "灯台下暗し" だけは情けない。

私の経験上、その実績において、他に劣るどころか優位ですらあるものが、
軽んじられ、顧みられる事がないのは残念だし損失だと思われてならない。

アングルと天体だけで判断する日本のアスペクト占星術は、
ドイツのハーフサムやコンフィギュレーションにも通じる。

天体とアングルの組み合わせだけに終始する。

アスペクト占星術を "相を読む"という日本の運命学の真髄に引き摺り込み、
事実と神秘的に符号する日本占星術として昇華させたのは 波木星龍である。

サインを無視せず、ハウス・システムを排した ハウス活用法を編み出した。

運命学には、西洋、中国、インド だけではなく、
"日本"という選択肢もある事を忘れないで欲しい。

それは非常に東洋的且つ、より日本的である。

どれもいい。

無論、全部学んでもいい。

だが "不味いワインを飲むには人生は短過ぎる" と言うではないか。

何れも、それを突き詰めれば、他は必要ないのが判るだろう。

多くの実践と経験、確認作業、経験則を得る必要がある。
自らによる発見無く、知識だけ、というのが一番不毛である。

匿名をいい事に、わかったような事を "のたまう" 素人は後を絶たない。
学術書の受け売りで書評する様な 恥ずかしい輩にだけはならないで欲しい。

それがどれ程 滑稽であるか判らないような感性に期待できる事は何もない。

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