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「恋愛敗者宣言」

 過去記事で触れましたが「ASD者は恋愛が苦手」をそっくり体現してしまい、その結果を踏まえて「恋愛敗者宣言」をしました。今回は恋愛に敗れた一人のASD男性の供養のような記事になります。一種の自叙伝のようなものですので、その辺りをご理解してもらえると助かります。

 

 遠い昔、自分が小学生の頃は、人は誰しもが素敵な恋をし、然るべき時にその人に出会い素敵な家族になるという文脈と幻想を信じ切っていました。
 その当時は自身に違和感があったものの、自分は「健常者」あり「定型発達者」であり「皆と同じ」であると信じて疑っていませんでした。

 しかし、現実はスクールカーストはド底辺で、いじめやマウンティングも日常茶飯事でした。特に地元で過ごした少年、青年時代は今考えても残念な日々が多かったです。
 ただ、当時は自分の障害を全く認知しておらず、変に普通を目指して無理をしていたので、今思えば仕方がないことかもしれません。

 自分の人生は群れでの序列は下位の方で過ごした期間が圧倒的に長く、共同体では常に微妙に嫌な煮湯を飲まされることが多く、それは細かい棘がチクチクと積み重なるような嫌で不快なものでした。

 正直マウントを取られなかった時代は、大学生時代と今の職場、ほとんどなかったのは専門学校時代と過去に良くしてくれた職場でした。
 それ以外の場所では頻繁にダメ出しをされることが多く、「お前は、周りの人と比べると格下でダメな人間だ」と常に言われているようなものでした。

 そんな状態が続けば当然「自己肯定感」は育まれません。

 この「自己肯定感」の低さは当然恋愛でも不利に働きました。そして自分の場合は「ASD」も呈しているので文脈も読めず、認知のずれもあり、それもマイナスに作用しました。

 さらに致命的だったのが、若い時に安定して社会と接続し、一定の「稼得能力」を獲得できなかったことです。男性は「仕事ができる人」に需要がある傾向です。それは「稼得能力」とセットになっていると合コンなどから感じました。

 もう一つ大きなダメージだったのが「容姿」です。子供の頃からわりと近年までアトピー性皮膚炎が酷く、顔もひどいことになっていました。そのため皮膚がボロボロで顔がシワだらけでした。
 現在、アトピー性皮膚炎はかなり良くなりましたが、かつて同級生から「顔は老けているのに、心が幼いよね。なんか可哀想だね」と言われたことがあります。
 今思えば「心が幼い」はASDの影響があると思われるので、それが滲み出ていたのでしょう。

 それと頭髪も禿げているので、「このハゲー」と言われたりと悪い意味でイジられることも頻繁にありました。社会人になっても「お前、よく見ると頭髪が危険なことになっているな(笑)」と同僚から言われました。
 現在はAGA治療をしていますが、これは自分にとっての呪いを解く作業なのかもしれません。
(「このハゲー」については以下の記事で詳細を語っています。)

 これまでの人生を俯瞰すると自分が恋愛を始める時点で、すでに「障害」というマイナス要因を抱えており、さらに「容姿」「稼得能力」「逆境的体験」というマイナスな要因が積み重なりました。
 全くプラス要因が一つもなかった訳ではありませんでしたが、恋愛に関してはトータルで見るとマイナスからプラスに転じることができませんでした。

 恋愛市場に出て、数々の「失敗体験」「負のフィードバック」がインプットされました。市場のニーズがないのにこれ以上そこに留まること自体、人生のQOLを考えると不毛なことだと悟りました。これまでを総合的に鑑み、熟考した上で「損切り」する決断の必要性を感じました。そのプロセスについても過去にnoteでいくつか記事にしていますので、興味があれば読んでみてください。


 自分の場合は恋愛に執着することで妄想に囚われ時間や思考を浪費することは、今後の人生に悪影響を及ぼすと判断したので損切りを実行しました。ただ、「損切り」をどう決断するかは障害があっても人それぞれで個別性があって当然でしょう。
 「恋愛敗者宣言」をしたことで、自分自身の憑き物が取れ、妙にスッキリした気分で爽快感があります。執着を手放すことで、新しいステージに移行できるという謎のポジティブな予感があります。

 そんな訳で、今回は「恋愛敗者宣言」をしたことで、恋愛市場から完全に撤退し足を洗ったという個人的な自叙伝を書かせてもらいました。
 最後までお読みいただきありがとうございます。

  

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