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探さないでください

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  • 穏やかな日々

    こころにうかぶことを、誰に伝えるでもなく、むしろ自分の整理のために書き残します

最近の記事

不在の在

先日オンラインで参加した勉強会で3人グループに分かれインタビューし合うワークをやりました。質問項目が5つほど設定されていてそれを聞くのですが、非常に簡単に言ってしまうとこれまで自分や家族が困難なときにどのようなスキル(ここでは資質や能力という意味でもある)で対処したのか、そのスキルは誰から学んだのか、そんなことをいろいろ語るというものでした。僕は質問されて咄嗟に4年前に父が他界し、遺された母、姉、僕の妻、僕の4名のことを思い出しました。 2020年3月。世の中に新型コロナの

    • かけがえのない

      特養に入っている叔母に面会に行った姉と親戚から動画が送られてきた。ベッドの中で姉や親戚の手を握りながら話している様子だ。叔母はなかなかスムーズに会話が進まないものの、何度も「ありがたい」「うれしい」と口にし、時にはその握っている手に、ギュッと力を込めて自分の頬に引き寄せ、目をつぶって何かを味わうようにしていた。そんな動画が3本ほど。どれも1分間くらいのものだった。 僕も歳をとったのでしょう、最近涙腺がゆるくなっていて、その動画を見ていたら涙が溢れてきた。そして、僕の方こそ「

      • 母の語り直し

        ふとした時に、親のこと、姉のこと、妻のことに思いを馳せ、心の底から感謝している自分がいます。そして思うのです、「僕らに残されている時間はそんなに多くはないから、もっと家族といる時間を大切にしよう」と。 4年前に父に先立たれた母は、実家に会いに行くとこれまでの自分の人生で起きたことを語り出します。 あの時、どこどこの誰がこんなことを言って、そうしたら別のなんとかさんがこんなことをやって…、と、よく覚えているなぁ、と感心するくらい詳細に。それは、戦時中、母が幼い頃の家族のサバイ

        • うつ年表

          自分はいったいいつから鬱になり、今までどんなことがあったのか。 最近、体験したことそのものは思い出せるのですが、それがいつだったのか、ある出来事と別の出来事の時間的な関係、そんなものが思い出せなくなっています。それでたまに自分のうつ年表をつくっています。といっても、詳しいものではなく鬱にまつわることがどの年に何があったのか、という程度。発症(診断された)が2007年、そこから厳密にいうと3回は再発しているのでそれらを中心に前後の年で何があったかを簡単にメモのようにまとめたもの

        不在の在

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        • 穏やかな日々
          10本

        記事

          時間という呪縛

          時間のことを考えると何とも気持ちが重たくなります。時間に追われる、といいますが、時には自分が時間を追いかけるような気もします。 確かフランクリンの言葉だったか「人生は時間で成り立っている」。時間という有限な資源をどう使って生きるのか。確かに人には平等に「死」というものがいつかはやってくる(今日かもしれないけど)。だから自分のミッションとビジョン、そして計画をもって生きるということです。 一方で、詳しくわかっているわけではないのですが、相対性理論では「絶対の時間」は存在しないと

          時間という呪縛

          暑い夏を前に

          ついさっきのことですが市内の図書館に行ったときのこと。 その図書館は市の郊外であまり頻繁に人や車が通らない位置にあります。そんな図書館が面している車道から地下にある駐車場へ下る入り口のところに警備員がひとり立っていました。赤色灯(というのかしら?)がついている棒を片手に持って少し力が抜けたような、でも真っ直ぐに立っていました。帽子と眼鏡とマスクをされていたので年齢の頃は…よくわかりません。今日は快晴で太陽が照りつけていて6月とはいえアスファルトの上では30度近い体感温度なので

          暑い夏を前に

          101年、生きるということ

          あと3ヶ月ほどで102歳になる叔母。長く一人暮らしをしていたが、昨年夏から特養でお世話になっている。特養に入ってしばらくは面会に行くと嬉しそうに話をしてくれていたが、この1〜2ヶ月は寝ていることが多くなり、昼間に僕らが行ってもやはり寝ているし、起こしてもぼんやりと空を見ていて受け答えも曖昧になってきている。時には少し苦しそうな表情を見せることがある。それでも僕らのことはわかるし、質問をすると頷いたり首を横に振るなどする。意識はしっかりとしているのだろう。 僕の母は(叔母の妹。

          101年、生きるということ

          自分を恥じたこと

          さっき道を歩いていたら10メートルほど先にリーフレットを手にした(見るところ)年配の女性がこちらの顔を伺うように立っていました。僕は勧誘とかアンケートとか、なんとなく嫌な予感がしていたのですが果たして「すみません」と声をかけてきました。 「○○○は知っていますか?」(その人はマスクをしていたからか、はっきり聞き取れなかった) 僕は反射的に 「知りません」 と手を顔の前で振って、相手の顔も見ず返答しました。 2~3歩歩いたところでその人が「○○「ビル」は知っていますか?」と言

          自分を恥じたこと

          役にたつ、ということ

          自分が役に立てていないように思えてくると、ゆっくりと沈んでゆき、徐々に孤独を感じ始める。他者との関わりへの意思が萎むように小さくなる。自ら進んで何かをしたり、始めたりできなくなってしまう。 普段はわかったような顔でmustよりwantなどと言っているが、自分こそmustに縛られているのだ。自分が今、本当にやりたいことをおざなりにして、“誰かのために”やろうとしている。いや、誰かに認められたくて、人かどの人間だとか、凄いとか、そんな風に見られたいだけなのだ。 今からでも、こ

          役にたつ、ということ

          生きてきたことの認証

          僕にはこれまでの人生で大きく二つのコミュニティがある。ひとつは10代からだいたい30代後半くらいまでの主に地元、それも音楽で繋がる人たちとの関係。2〜3日に1回は顔を合わせ、音楽の話はもちろん、それ以外のどうでもいい話題、なりゆきに任せてどこかに行ったり。いつも皆飲んだくれていて(僕は下戸だが)今でこそ言えるが、多少道徳的でなかったり法に反したこともしていた。長くバンドをやっていたので頻繁にライブをやっていた時期もあるし、テレビに出演したりレコーディングしたり、ツアーは関西、

          生きてきたことの認証

          空白、ということ

          今朝新聞をめくったら船越桂さんが亡くなったことが載っていました。熱心なファンでもないし詳しいわけでもないけど、なんだか心が揺れる出来事でした。 昨晩、なんとなく時間を持て余したときに目の前の書棚から昔入手した本を無造作に取り出し眺めていたのですが、その時、船越桂さんの『森へ行く日』を手に取ろうかちょっとだけ迷い、でもそうせずにいました。そういえば最近作品展はやっているのかな…なんて思いながら。 僕は船越桂さんの生み出す人たちの視線の中にある空白が好きでした。そこにはもちろん

          空白、ということ

          5 years

          デヴィッド・ボウイーの曲に「5 years」というのがあります。地球という星の生命が残り5年間しかないとわかったとき、目にするものすべてが愛おしく思えるという物語です。 自分の人生の終わりを自覚したとき、人はものごとの捉え方が変わるのでしょう。ボウイーの曲はさらにこの地球上の生命すべての終わりに直面した時の心情を唄っています。 僕の人生はコレまでずっと、働くこと仕事に対して思い悩むことばかりでした。今でもそうです。学校を卒業してからの大部分は働くことに時間を費やしてきました

          老いを生きるということ

          7月から特別養護老人ホームに入居した叔母。その後すぐに101歳の誕生日を迎えた。今年の春先まではひとり暮らしをしていたが、骨折、手術、入院を経ていよいよ(本人がこれまで拒んでいた)施設暮らしになったのだ。 骨折で入院している時から気づいていたのだが、ひとり暮らしをしている時よりも顔色が良く、笑顔も増え、穏やかな心持ちでいるように思う。自宅を離れ、誰かと一緒に過ごすことをあれほど嫌がっていた叔母の穏やかな姿。そこにはやはりケアする人の存在があるのではないかと思う。誰もがそうと

          老いを生きるということ

          ちいさな幸せと平和

          駅ビルにあるフリースペース。椅子がポン、ポンっと置いてあり、空いていれば誰でも好きに過ごせる。座ってみると、買い物中のさまざまな人たちが行き交う様子を、なんとはなしに眺めることができる。 その子の声は姿が視界に入ってくる前から聞こえてきた。おぉ、おぉ、っと誰かに何かを伝えたいような、そんな声だ。やがて僕の“スクリーン”にその子が登場した。2歳くらいだろうか、僕の前をトコトコと男の子が歩いている。 彼はステーキレストランの入り口付近にある大きなメニュー写真の前に立ち止まり何

          ちいさな幸せと平和

          この世界は素晴らしい

          4時に起きた。 熱めのお風呂に入る。 ベランダに出て椅子に座り 背を後ろに倒す。 空が目に入ってきた。 ウロコのような薄い雲の向こうに青。 鳥たちの声が聞こえる。 いろいろな声。何羽も、たくさん。 何を会話しているんだろうか。 「おはよう」 「朝ごはんは何を食べる?」 「今日も暑いのかな?」 走る車の音も聞こえる。 何か、台車のような音も。 向かいのコンビニエンスストアに納品だろうか。 キャリーケースを引きづる音が通り過ぎた。 どこかに行くんだね。 土曜日だから旅行だろう

          この世界は素晴らしい

          長く生きる、ということ

          叔母は今年の8月で101歳になる。つい一月ほど前まで一人暮らしだったがとうとう転んで骨折してしまい、今は入院中だ。彼女は今の今までずっとひとりで生きてきた。僕の母(叔母の妹)に言わせると、だから“ワガママ”だと。確かに頑固なところはあるが、それでも100年も生きてきた人だ。強い、ということだろう。 それでも、ひとりでいることは寂しいようだ。しかもこの後自分の人生がもうすぐ終わろうとしていることもわかっている。 昨日の面会では部屋に入ると驚きの声を上げてすぐに泣き出してしまっ

          長く生きる、ということ