空白、ということ

今朝新聞をめくったら船越桂さんが亡くなったことが載っていました。熱心なファンでもないし詳しいわけでもないけど、なんだか心が揺れる出来事でした。
昨晩、なんとなく時間を持て余したときに目の前の書棚から昔入手した本を無造作に取り出し眺めていたのですが、その時、船越桂さんの『森へ行く日』を手に取ろうかちょっとだけ迷い、でもそうせずにいました。そういえば最近作品展はやっているのかな…なんて思いながら。

僕は船越桂さんの生み出す人たちの視線の中にある空白が好きでした。そこにはもちろん何もなく音もしないような。でも寂しくもないし、不思議と心安らぐ場所。
もしかしたらそれは涅槃というものかもしれない。いやでも悟りの境地というものでもないだろうから、むしろ私たち誰もが持ち得ている内なる平和の表現なのかもしれない、なんて思います。

後半の作品にはそれまでとは違った、まるで怒りや苦悩を表したような人たちも生み出されていましたが、あの頃、船越桂さんの中では何が起きていたのでしょうか。

空白、というのは得難いものだと思います。


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