長く生きる、ということ
叔母は今年の8月で101歳になる。つい一月ほど前まで一人暮らしだったがとうとう転んで骨折してしまい、今は入院中だ。彼女は今の今までずっとひとりで生きてきた。僕の母(叔母の妹)に言わせると、だから“ワガママ”だと。確かに頑固なところはあるが、それでも100年も生きてきた人だ。強い、ということだろう。
それでも、ひとりでいることは寂しいようだ。しかもこの後自分の人生がもうすぐ終わろうとしていることもわかっている。
昨日の面会では部屋に入ると驚きの声を上げてすぐに泣き出してしまった。許されている面会時間の間はずっと喋り続けていた。いよいよ僕が部屋から出なければいけないとき、また泣きながら「みんなによろしくね」と大きな声で。
そして、部屋を出てドアを閉めるとき、叔母の嗚咽の声が聞こえてきた。
日々、仕事に追われていて、一日のうちの多くの時間、叔母のことを忘れている。いや、今年91歳になる母のことも忘れている。でも時々、そんな二人のことを思い出すといたたまれない気持ちになる。何か大事なことを置き去りにしているのではないか。
そんな自分もあと1年ちょっとで60歳だ。
このままの生き方でいいのだろうか。
何を大切に生きてゆくべきなのだろうか。
いや、何を大切に残りの人生を生きたいのだろうか。
今日も仕事だ。
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