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かけがえのない

特養に入っている叔母に面会に行った姉と親戚から動画が送られてきた。ベッドの中で姉や親戚の手を握りながら話している様子だ。叔母はなかなかスムーズに会話が進まないものの、何度も「ありがたい」「うれしい」と口にし、時にはその握っている手に、ギュッと力を込めて自分の頬に引き寄せ、目をつぶって何かを味わうようにしていた。そんな動画が3本ほど。どれも1分間くらいのものだった。

僕も歳をとったのでしょう、最近涙腺がゆるくなっていて、その動画を見ていたら涙が溢れてきた。そして、僕の方こそ「ありがたい」と言いたい気分に。
では、何に対して「ありがたい」と思っているのだろうか。

もうすぐ102歳になり、今はほとんど起き上がることが難しくなった叔母。でもこうして共に在り続けてくれる。
そう考えるともちろん、母だって、姉だって、妻だってただ存在してくれるだけでありがたいのだ。
さらに考えると、家族だけでなく、友人も、仕事の知り合いも、いや、道行くすべての人たちもありがたい。
きっと僕にとって、かけがえのない存在なのだ。

今日はやさしくなっている自分がいるみたいです。
ちょっと愛想のないコンビニの店員も、駅ビルの中を向こうから歩きスマホで歩いてくる、どっちによけたら良いのか予測できない人に対してもすべて優しくできる。
過去に僕を傷つけた人たちにだって、きっとやさしくできる(気がする)。

すべては、かけがえのない存在なのだね。

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