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不在の在

先日オンラインで参加した勉強会で3人グループに分かれインタビューし合うワークをやりました。質問項目が5つほど設定されていてそれを聞くのですが、非常に簡単に言ってしまうとこれまで自分や家族が困難なときにどのようなスキル(ここでは資質や能力という意味でもある)で対処したのか、そのスキルは誰から学んだのか、そんなことをいろいろ語るというものでした。僕は質問されて咄嗟に4年前に父が他界し、遺された母、姉、僕の妻、僕の4名のことを思い出しました。

2020年3月。世の中に新型コロナの姿が顕わになり始めた頃です。母は自身の病で短期入院していたのですが、ある晩実家で父と姉と僕の妻と僕の4人で食事をとっていた最中に父が突然倒れそのまま逝ってしまいました。翌日から悲しみに暮れる入院中の母の病室に僕らは交代で泊まり(コロナで面会制限があったが病院が特別に許可してくれた)、昼はそれぞれ仕事の合間をぬって父の死に関係する諸々の手続きを手分けして進めながら、さらにお互いをケアして日々を過ごしました。僕はあの時は久しぶりに「家族」を感じていたと思っています。皆、この悲しみと苦難を乗り越えようとしていたと。

僕はこんなことを語った時に、その時の僕ら家族の日々に何か「スキル」があるとするなら、それは誰に学んだのか…という質問に対して、質問の主旨とは違うかもしれないけど、僕らの協同は父がもたらしたのではないかと思いました。父の死によって家族が結束し力を合わせたのではないかと。だとしたらこの家族の力は父が教えてくれたものでしょう。そして父はそうして今でも家族をつなぎ止めていてくれている。現世にはいないのにずっと一緒にいてくれている。

そんなことを考えたのでした。
父の生前、僕は決して親孝行な子どもではなかった。
されど墓に布団は着せられず。

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