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時間という呪縛

時間のことを考えると何とも気持ちが重たくなります。時間に追われる、といいますが、時には自分が時間を追いかけるような気もします。
確かフランクリンの言葉だったか「人生は時間で成り立っている」。時間という有限な資源をどう使って生きるのか。確かに人には平等に「死」というものがいつかはやってくる(今日かもしれないけど)。だから自分のミッションとビジョン、そして計画をもって生きるということです。
一方で、詳しくわかっているわけではないのですが、相対性理論では「絶対の時間」は存在しないとか。たぶんものすごく乱暴に言ってしまえば、時間は人間の概念のつくり出したモノ…ということか。こちらの方がわかるような気がします。
とはいえ、時間っていったい何なのか、時間に追われたり、追いかけたりしている自分は何なのか。
鬱が酷かったときは、本当に時間が怖ろしかった。ある時は時間はピタリと止まってまったく動かない。またある時は僕をどんどん追い越して去ってしまう。
最近ではまったくないけど、電車に乗ろうと駅のホームへの階段を登り切ったあたりで乗りたかった電車が行ってしまった時、こんなに絶望することはなかった。あと数十秒早く階段を登っていればあれに乗れたのに…。その電車が走り去ったホームのベンチにへたり込むように座りしばらく動けないことがしばしばあった。

時間を手放すにはどうしたらいいのだろうか?
あるいは、
時間を征服するにはどうしたらいいのだろうか?

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