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「私」はどこまで「私」なのか?

ふと思った。

「私」はどこまで「私」なのか?

毎日肌身離さず持っているスマホ。これもある意味「私」なのではないか。スマホには私の「記憶」が写真として詰まっている。私の「言葉」としてLINEなどSNSが入っている。

もはやテクノロジーは人間の欲望を具現化したようなものだ。都市も人間拡張の最終形態として存在している。

都市は人間拡張の最終形態

工場は、労働者を吸収し、そこで量産される製品は消費者としての市民を吸引するという具合に都市が人を運び、ものを見る目の代わりに映画が人気を呼ぶという具合に、人間は自分の能力ばかりでなく、欲望さえも機械化しようとしたのである。
黒川紀章 『都市デザイン』より

現在の都市は、人間の能力と欲望を機械化した「機械化人間」ないし「機械人間の都市」である。

「機械化人間」については、近代建築の「三大巨匠」の一人として知られるル・コルビュジェもいうように、機械とは人体の延長であり、住居とは住むための機械であり、住居の郡たる都市もまた機械である。

果たして、私たちの肉体や精神はどこまで広がっているのだろうか。もちろん、私たちは自分の体を動かすことができる。(実際、本当に全て動かせるとは断言できないが)。しかし、プロの卓球選手やゴルフ選手の話になると、ラケットやクラブもあたかも自分の体の延長線上だと感じるだろう。

私たちはどこにでもいる

今となれば、スマートフォンのように自分の延長がたくさん存在している。IoTと呼ばれるように、私たちの身の回りのものは全て私たちの意のままに動く時代になる。

フィジカル空間において、プライバシーに抵触する可能性のある数多くのデータが人力でもデジタル技術でも、マーケティング目的で、既に取得されている。コンビニエンスストアのレジにおける店員任せの性別・年齢データの入力に始まり、都内のタクシーに増えてきた広告表示モニターに備えたれた顔認識カメラなどである。

このように、私たちの情報はフィジカル空間のみならずデジタル空間でも存在している。これら情報を拾い集めることで私の一部を再構成することも可能だ。

データによって支配される世界。この世界は必然的にやってくるだろう。これからは都市がインターネットの「進む先」として大同しているのは必然ともいえる。センシング技術の進展や、データ解析によるアルゴリズム開発と機械学習によって、「サイバーがフィジカルに溶け込む時代」となってきたのである。

しかし、データによって管理されている日々やその選択は果たして本当に自分なのだろうか。私たちは本当に自分の決断によって、動いているのだろうか。

一つの生命体

私たちが環境に適応していくのか、それとも環境が私たちに適応しているのか。

スマートシティ、Society 5.0、あるいは都市のデジタルトランスフォメーションしかり、このような先進的な響きを持った言葉は、都市を無機質な人工物なのだという印象を与えてしまう。

しかし、実際の都市は、人間拡張の最大形態であり、あたかも一つの生命体のように動いていると考える。だから、前記した人間か環境かについては、どちらともというのが答えである。

全てのメディアは人間の機能および感覚を拡張したものである。
マーシャル・マクルーハン『メディア論』

マクルーハンにとって「メディア」とは、文字や本、新聞、テレビ、インターネットといったものだけではなく、道路や車輪、家や衣服といった、あらゆる人工物を含む。つまり、人間が生み出したテクノロジーによる人工物全てが、人間の機能および感覚を拡張すると彼は考えたのである。

機械とは人体の延長である、という考えがまさにこれに当てはまる。

人間の機能および感覚の拡張は、大きく3つのテクノロジーの進化に分類されると考える。

「インフォメーション」、「モビリティ」、「エネルギー」

インフォメーション

「インフォメーション」とは、人間のコミュニケーションを行う機能、すなわち、情報を認知するための目や耳、情報を伝えるために言葉を発する口、表情を表す顔や目、これらの拡張としての情報認知伝達技術が該当する。また、数や取引といった概念情報も含まれる。具体的には、これまで記した簿記という概念とそれから生まれた文字、コデックスや活版印刷といったアナログ技術によるもの、そして、近年のコンピュータやインターネットなどのデジタル技術によるものがある。

モビリティ

「モビリティ」については、機動性や移動性という意味で使われることが多いが、筆者は人間自身ないし、人間が移動させたいと思うモノを物理的に移動させる能力と定義している。自身を移動する際に使う脚はもちろんだが、モノを移動させたり、投げたりする腕力に該当する機能の拡張も意味する。たとえば、車輪などは非常にわかりやすい「モビリティ」であるが、梃子のように人間では不可能だった物理的移動を可能にした技術や、弓矢や銃のように、かつては人間の腕力だけに頼っていたものを、より強く、より遠く、より速く行えるようにしたものについても、「モビリティ」と定義する。

エネルギー

これら二つのテクノロジーの進化の背後には「エネルギー」の進化が存在する。人間に例えるなら、脳や運動機能のエネルギー源となる食料を消化吸収する消化器と、酸素によってエネルギー転換を行う肺、そしてエネルギーを行き渡らせる心臓と血管といったところだろうか。コンピュータやインターネットも、現在のような大規模な電力供給網なしでは利用不可能であるし、多くの人が持ち歩くスマートフォンにしても、軽量コンパクトで長時間充電が可能なリチウムイオン電池の存在が不可欠である。蒸気船や蒸気機関車は石炭、航空機や自動車は石油というように、多様なその動力を生み出す資源(石炭、石油、原子力など)とその活用はテクノロジーとして極めて重要となる。

終わりに

「私」はどんどん拡張していくだろう。テクノロジーも機械も言い換えれば「私」の欲望のために作られた存在である。

特に、「インフォメーション」、「モビリティ」、「エネルギー」この3つは人間の機能および感覚の拡張に必要不可欠なものである。

将来は都市もまた「私」となる。「私」と「あなた」も繋がっていき、一つの生命体として活動していくだろう。

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