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車のロゴから障がいのイメージを考える
施設のロゴが描いてある車がよく走っている。
運転している人からすると、何者かを表示して走るのは自分の運転を見られているようで落ち着かないと思う。
安全運転の効果もあるのかもしれないけど、やはり広告の意味合いが強いのだろう。
たくさん街で見かければ、施設の認知度が上がり、選挙のように選んでもらえたりするのかもしれない。
先日お話した福祉関係の方が、デカデカとロゴが入った車でご自宅を訪問するのは
他者の痛みを感じ、傷つくこと
先日、松山大学で水俣病の支援団体・想思社の永野三智さんの講演会に行ってきた。
この講演は当事者ではない(と自身が自覚的である)他者がどのように問題とかかわるかというとても普遍的なもので、ケアの現場においても示唆に富むものだと思ったので、少し長くなるけれども感想を記しておきたい。
永野さんの著書「みな、やっとの思いで坂をのぼる」はとても強く印象に残る一冊だった。
水俣病未認定患者の方の相談対応の記
ノイズキャンセリングの効能と・・・
騒がしいのが苦手なUさん。
精神的に不安定になると手が出てしまうことがあり、過去に一度だけ、家電量販店に一緒に行ったときに頭をたたかれたことがある。
そんなUさんと少しドキドキしながら、ドラッグストアに買い物に行った。
音を気にしながらお店に入ってみると、店内の放送と商品の広告、精算機の人工音が一度に飛び込んできた。
普段の買い物では必要な音だけを取捨選択しているんだろう。
これだけうるさいこと
具体的な状況に対して(手の倫理を読んで2)
手の倫理を読んでのつづき。
最も好きな章は不埒な手という章だ。
入浴介助者が介助と性行為を関連付けて考えてしまうエピソード。
それを不純なのでやめたまえと言うのは道徳的だが、同じ身体を使ってやっていることなのだと。
職場のスタッフが受けた研修で、介護者は排泄物を汚いと思ってはいけないと教えられたという話を聞いてとても驚いた。
衛生上、気を付けて扱うべきだという観点もさることながら、自分が汚いと
ふれることの真実味(手の倫理を読んで1)
伊藤亜紗さん著 手の倫理(講談社新書メチエ)という本を読んでいる。
これまで事務の仕事をしてきた私にとって、ケアの仕事に就いてから、家族以外の他者に「ふれる」という行為にあまりなじみがなく、戸惑うことが多い。
「ふれる」という物理的な質感を持った行為について、感覚が先行して理解が追い付いていない自分にとって、この本はその感覚を整理する助けになった。
言語でのコミュニケーションが難しいYさんとは
どれだけ代弁できるか、なのか
送迎の時になかなか送迎車に乗ってくれないEさん。
ある日、乗らないどころか家に戻ったまま出てこなくなってしまった。
そんなことは初めてで、前日にあったあれこれを思い出してみたり、大慌て。
膠着状態になってしまい、状況を打開するにはEさんが好きな車か人が目の前に現れれば何か変わるかもと一縷の望みを託して、スタッフを呼ぶ。
到着したスタッフが促すと驚くほどあっさりと車に乗ってしまった。
結局、Eさ
いるのはつらいのかい?
施設に見学に来てくれる方に、利用者さんがやることは特に決めていないことを話すと、驚きとたまに戸惑いの反応をされることがある。
戸惑いには、自分たちがどのようなサービスを提供するのかが見えにくいという点があるのかもしれない。
せっかく見学に来てくれている方に申し訳ない気持ちにもなる。
例えば、今日は施設の説明をしている隣のテーブルで、Hさんがひたすら付箋に数字を書いて壁に貼っていた。
この行為につ