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他者の痛みを感じ、傷つくこと

先日、松山大学で水俣病の支援団体・想思社の永野三智さんの講演会に行ってきた。
この講演は当事者ではない(と自身が自覚的である)他者がどのように問題とかかわるかというとても普遍的なもので、ケアの現場においても示唆に富むものだと思ったので、少し長くなるけれども感想を記しておきたい。

永野さんの著書「みな、やっとの思いで坂をのぼる」はとても強く印象に残る一冊だった。
水俣病未認定患者の方の相談対応の記録で、本当に多くの患者さんとのやり取りが記載されているのに、それぞれの患者さんの話を類型化することなくきいているということがよくわかる文章で、こういうふうに人の話をきき、ひととかかわりたいと思った。

講演は「水俣病事件を考証する」というタイトルで「患者ではない私が語る」という副題がつけられていた。
水俣の地理的特性や水俣病事件の時系列的な経緯など基本的なところから、考証するというタイトルの通り、チッソという大企業や国、熊本県が水俣病事件と患者にどのように対応していったかについて短い時間ながらとても分かりやすいものだった。

全体を通して、水俣病事件は構造的なものだという感想を持った。
近代の国民を犠牲にしてでも国が生き残るという国民国家の形成や、成長することが存在目的となってしまっている企業、その果実を住民に分け与えることが命題と考えてしまっている行政機関という資本主義が持つ病理の行きつく先が水俣病事件という形で現実化してしまった。
もちろんチッソや国、熊本県の責任ある立場の人たちが少しでも倫理観をもって行動すれば、結果は少しずつ変わった可能性はあるが、個人の悪意というよりも各人の国民国家や資本主義のマインドセットの中で取っていった行動で、自身も同時代に同じ立場にいれば、同様の行動を取ったかもしれないと思うと恐ろしいものがある。

そして、この病理が現代においても尾を引いているという事実を端的に見ることになったのが、先の環境省と環境大臣のマイクオフ事件でもあった。
患者支援団体の事務局スタッフとして環境大臣との懇談の場にいた永野さんは、講演の冒頭でこの事件に触れ、近年稀にみる水俣病事件についての報道の広がりの要因について、「報道機関のひとも傷ついた」ことを挙げていた。
永野さんは報道機関の人たちやこのニュースを聞いた人たちも「同じ目に合っている」と感じたからこそ共感したのではないかと語っている。

水俣病は国家、大企業に踏みにじられた民の運動の積み重ねのうえに今がある。
わたしたち民が近代とどのように対峙していくかの可能性を拡張している現在進行形の歴史でもある。

「患者ではない私が語る」という副題のとおり、永野さんは自身の「非当事者性」にとても自覚的な方だ。
この講演で最も印象に残ったことは、講演の終わりに彼女の仕事である水俣病患者の相談業務において、自身が「何もできなかったが、患者さんを一人にはしなかった」と語っていたことだった。
そして、「当事者じゃなくても傷ついていい」と言葉を継いだ。

みな、やっとの思いで坂をのぼるには石牟礼道子さんとの交流を綴った「悶え加勢」という章がある。
患者の痛みに何もできない不甲斐なさを吐露した永野さんに対し、石牟礼さんは「むかし水俣ではよくありました。苦しんでいる人がいるときに、その人の家の前を行ったり来たり。ただ一緒に苦しむだけで、その人はすこぉし楽になる」と悶え加勢について永野さんに語ってくれたそうだ。

ケアの現場で、親しい友人やその家族の苦しみを見て、ガザなど遠い海外のニュースを見て無力感を感じたとき、悶え加勢は非当事者が当事者やその問題とかかわる一つの足場になるのではないかと感じた。

※本を読み返して「悶え加勢」についての記憶を遡ったら、2019年の寺尾沙穂さんのライブで彼女が語っていて、とても心に残ったのだったとインスタが教えてくれた。


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