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具体的な状況に対して(手の倫理を読んで2)

手の倫理を読んでのつづき。

最も好きな章は不埒な手という章だ。
入浴介助者が介助と性行為を関連付けて考えてしまうエピソード。
それを不純なのでやめたまえと言うのは道徳的だが、同じ身体を使ってやっていることなのだと。

職場のスタッフが受けた研修で、介護者は排泄物を汚いと思ってはいけないと教えられたという話を聞いてとても驚いた。
衛生上、気を付けて扱うべきだという観点もさることながら、自分が汚いと感じてしまうところからがケアのスタートなんじゃないかなと思う。

著者の伊藤さんは、「具体的なある状況においてどうふるまうか」が倫理だという。
触覚には道徳を相対化する不道徳性があるとも語っている。

介護の現場の先輩方からお話を伺うと、とても安全に配慮しているし、介護者、利用者双方のあらゆるリスクを未然に防ぐための叡知を惜しげもなく与えてくれる。

それはとてもとてもありがたいことだし、とても大切なこと。
ただ、私たちが日々向き合っているのはとても具体的な状況であり、例えばつい思ってしまうという身体性が持つ強い衝動に対して、自分自身が戸惑い、考え、その場で判断していくこと。
そのことは、一人一人の責任に委ねられている危うい行為だ。
毎度毎度では疲れてしまうけども、ケアする側がそういった状況に対峙することは、ケアされるひとの生をより豊かにしていくのではないかと、思わせてくれる希望の書だった。

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