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ふれることの真実味(手の倫理を読んで1)
伊藤亜紗さん著 手の倫理(講談社新書メチエ)という本を読んでいる。
これまで事務の仕事をしてきた私にとって、ケアの仕事に就いてから、家族以外の他者に「ふれる」という行為にあまりなじみがなく、戸惑うことが多い。
「ふれる」という物理的な質感を持った行為について、感覚が先行して理解が追い付いていない自分にとって、この本はその感覚を整理する助けになった。
言語でのコミュニケーションが難しいYさんとは触れる機会がとても多い。それは、Yさんの日常生活動作でケアが必要となる場面が多いということに起因していることが理由なんだけれども、もう一つコミュニケーションという観点もあると思う。
言語で行動を促すことができないため、自然に手を取ったり、体の向きを変えたりして、対象に目を向けてもらうなどしてこちらのメッセージを伝えるということが必要になってくる。
触覚というのは距離の近さゆえに、視覚や聴覚、嗅覚などよりも低位に置かれてきたそうである。
現代的なリテラシーから考えれば、触れるというコミュニケーションよりも当然他の感覚を優先すべきだというのは理解できる。
一方で、「ふれる」という行為は視覚や聴覚よりも真実に近いと感じることもある。
ヘルダーという哲学者が触覚というのが内部的にはいりこむものだと評したそうだけれども、相手に触ふれることが許されているという関係性も含め、ふれることから伝わる情報には、言葉や表情ほど容易に相手を欺けるものではないと感じる。
そのため、ぼくは安心してYさんのケアに徹することができるんだと思う。
たぶん。
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