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いるのはつらいのかい?

施設に見学に来てくれる方に、利用者さんがやることは特に決めていないことを話すと、驚きとたまに戸惑いの反応をされることがある。

戸惑いには、自分たちがどのようなサービスを提供するのかが見えにくいという点があるのかもしれない。
せっかく見学に来てくれている方に申し訳ない気持ちにもなる。
例えば、今日は施設の説明をしている隣のテーブルで、Hさんがひたすら付箋に数字を書いて壁に貼っていた。
この行為について言葉で説明するのはなかなか難しいが、見てもらえたので伝わったようでよかった。
つまるところ、Hさんがやりたいことをやってもらうということだった。

驚きについては、あまりほかの施設を知らないので伝聞になってしまうけれども、その日のやることを決めておかないと、利用者さんも、スタッフも「もたない」ということなんだろう。

ぼくらは「サービス」を提供してその対価としてお金を受け取っているので、なにかを「する」必要がある。
うちの施設の利用者さんでも「すること」がないと退屈そうだ。

なにかを「する」ことに駆り立てられる気持ちはぼくにもある。そんなとき思い出すのが、東畑開人さんの著作「居るのはつらいよ」だ。
この本は、ただ「いる」ことが求められるデイケアの現場で、セラピー的な「する」ことを生業とする臨床心理士が「いる」を獲得していくストーリーだ。
「そこに『いる』ためにはなにかを『する』必要がある。」と書かれているように、積極的な治療行為ともいえる「セラピー」と、とにかく一緒にいる「ケア」が対比的に語られている。

「する」ことがあって、その場に「いられる」ということは、社会の中で他者との関係性を結ぶうえで、とても有意義な場所だと思う。
一方で、「する」ことがなくても「いられる」ところこそが居場所なのかなあとも思う。
できれば、ぼくは「する」ことがなくても「いられる」という心理的安全性を確保したうえで、社会の要請からいったん離れた「やりたいこと」を「する」場所を作っていきたいなあと思う。
そのうえで、「やりたいこと」を社会と接続するためにぼくたちが汗をかけたらいいなあと。

以上、理想でした。

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