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障がいと成熟

最近、利用者さんのご家族から、否定的な言葉がけをされたことが発端となり、他害行為を行ってしまうというお話を聞くことが何度かあった。

それを聞いて、自分たちのかかわり方を振り返ると、否定的な言葉をかけることがあまりないことに気が付いた。
これはわたしたちの施設のケアが素晴らしいというワケではなく、何を目指しているのかの違いによるものなのかと思う。
社会の規範に合わせられるようになることよりも、そのひとの特性を目いっぱい発揮してもらい、社会につなげられるような回路を調整するのがスタッフの役割だと思っている。

とはいえ、できたてほやほやのわたしたちの施設には支援学校を卒業してすぐの若い利用者さんが多く、悩ましい部分もある。

知的障害や自閉傾向を持つ利用者さんはその障がい特性から、発達の過程で経験できていないことが多くあり、それが原因で情緒的な発達が遅れがちだという印象を受けることが多い。

例えば、思い通りにいかないことに対し自暴自棄になったり、親(スタッフ)にあたったりすることは、思春期によくある反応だが、それが自閉傾向によるものなのかの判別が難しい。

感情の乱れをぶつけてくる利用者さんへの対応は精神的に疲弊する。
障がいが原因だと考えれば、そのままにしておけるので気持ち的に楽なのだが、本人は情緒的な発達過程にあり、改善の余地があると考えた場合には対応をした方がいいのかもと思ったり、そうすると直接食らうことになる。

そんなことをよく考えていたら、たまたま読んでいた「ニューロマイノリティ」という本で村中直人さんという方が「成熟した発達障害成人」という考え方を書かれていて、なるほど!と思った(同氏のブログにも似たような記事があった)。

これは明確な回答や理想像が提示されているわけではない。
ただ、いくつかヒントはあって、定型発達といわれているのは現在の脳神経的な多数派の平均値に過ぎないこと、その定型発達に近づけることが答えではないことと書かれている。

そこには、「成熟した素晴らしい人間像」という普遍的な人間像を自分たちも常に考え続けていく必要があり、そこをゴールとした場合には障がいは現在の実社会ほどバリアにはならないのかもしれない。

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