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2つのケーキと労い

利用者さんたちと喫茶店にお茶をしに行った時のこと。
目的にしていたデザートのケーキが残り2つ。
利用者さんは3人・・・。
さまざまな解決策があるなかで、とっさの判断でとった行動は「意思確認」。
明確な意思表示をした2人がケーキにありつくこととなった。

ただ、ケーキにありつけなかった利用者さんは意思表示をすることが難しい方だったため、このアンフェアさはその後澱のようにしばらく自分のなかで尾を引くこととなった。
(もちろん、この利用者さんには好物のフライドポテトにクリームソーダまで注文したので、それほど悪いお茶の時間ではなかったと思う・・・)

この時の判断については、いくつかある円満な解決案の一つではあったと思う。
ただ、この案を選択した理由を考えているうちに、ある利用者さんのご家族の方が言っていたことが頭に浮かんできた。

それは、知的障害や自閉傾向を持つお子さんが施設内で他の利用者さんに他害行為をした場合、毎度そのことに関する報告を受け、都度ご家族は謝罪をしなければならなくなっているというお話だった。

そもそも他害行為には、利用者さん本人もさることながら、周囲の環境によるところが大きいので、施設の責任も多分にあるとは思うのだけれども・・・
およそ家庭での防止策が難しいと思われるこのような行為について、あえて家族に報告する理由について考えてみたときに、ひょっとしてそのスタッフは「労い」が欲しかったのかもしれないなあと想像した。

あらぶっている利用者さんのケアは精神的に消耗する。
だからそのスタッフにもケアが必要になることがある。
けれども、それが適切に提供されていない場合、自然とその苦労を知るご家族に労いを求めてしまうのではないか。

ケーキに話を戻すと、ケアに対する利用者さんの反応はケアをする側の手応えややりがいを支える効果がある一方で、それが得にくい利用者さんとのやりとりは消耗する場合も多い。
意思表示をしてくれる利用者さんにケーキを食べてもらうという判断はそんなレスポンスの有無が影響しているのではと思ったのだった。

ケアをする意欲をどのように持続していくかということは現場での一つ一つの振舞いに反映されるなかなか切実なテーマかも知れない。

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