あんころ

60代を過ごし、子どもの頃の記憶を書き留めたくてここに辿り着きました。 「片親」は「シ…

あんころ

60代を過ごし、子どもの頃の記憶を書き留めたくてここに辿り着きました。 「片親」は「シングルマザー」と言われる時代。離婚は後ろめたいことではないけれど、子どもたちの気持ちはどうだろう。今も母を思うと 子どもだった自分の気持ちが蘇る。 「普通」の家庭に憧れたまま。

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今日からひとり。

ある日のこと。 学校から帰ると 母の姿はなく、祖母が待っていた。 「今日からおばあちゃんたちと暮らすんだよ」 何が何だか分からず、手を引かれて祖父母と叔父夫婦の営…

あんころ
11か月前

小学生になる頃のこと。

自由奔放な母と 振り回される両親、つまりわたしの祖父母。 母が身勝手に産んだ小さな女の子は 記憶の中でも 賢い子どもだった。 父親のないシングルマザーなんていう言…

あんころ
11か月前
1

幼少期

一番古い記憶。 シングルマザーの道を選び 祖父母と兄夫婦の営む飲食店で働き始めた母。 そこからほど近い小さなアパートにちいさなわたしと暮らしていた。 ある日の夜…

あんころ
11か月前

わたしのこと。

忘れないように。 覚えていることを  少しずつここへ残しておきたい。 いい歳になり、これまでのことを 恨みもなく、受け入れられるようになった。 きっとわたしにとっ…

あんころ
1年前
1

わたしのことを書いてみる


1960.9.23 多分午前中。
おそらく 名古屋の地で。
古ぼけた桐の小箱に入った臍の緒が 母とわたしを繋いでいた証。その時、母は1人だったのか父であろう人がそばにいたのか、それとも祖父母がいてくれたのか、今となってはもうわからない。

あんころ
1年前
今日からひとり。

今日からひとり。

ある日のこと。
学校から帰ると
母の姿はなく、祖母が待っていた。

「今日からおばあちゃんたちと暮らすんだよ」

何が何だか分からず、手を引かれて祖父母と叔父夫婦の営む飲食店の上の住処へ。

この日から 母は帰ってこなくなった。

事情もわからないけれど
聞いてはいけない気がして
当たり前のように 従兄弟たちとテレビを見て、食事をして
祖母の隣で眠ることになった。

祖父は この頃外へ勤めに出てい

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小学生になる頃のこと。

小学生になる頃のこと。

自由奔放な母と
振り回される両親、つまりわたしの祖父母。

母が身勝手に産んだ小さな女の子は
記憶の中でも 賢い子どもだった。

父親のないシングルマザーなんていう言葉もない頃、
「片親」のわたしは 近所で有名だった。

「可哀想な子」の割に
母は わたしに
「可愛いお洋服」を着せることに喜びを感じ
「父親」から わたしを着飾るための金銭を無心していた。
そのお金で
オーダーのワンピースや
数少な

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幼少期

幼少期

一番古い記憶。

シングルマザーの道を選び
祖父母と兄夫婦の営む飲食店で働き始めた母。

そこからほど近い小さなアパートにちいさなわたしと暮らしていた。

ある日の夜、わたしを連れてでかける。

ダンスホール(?)というのが正しいかわからないけれど。そんなところへ。

大人たちがお酒を飲む中、ホールの真ん中で小さな女の子は 得意げにツィストを踊ってみせる。
たくさんの拍手や笑い声が嬉しくて。
母が

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わたしのこと。

わたしのこと。

忘れないように。
覚えていることを 
少しずつここへ残しておきたい。

いい歳になり、これまでのことを
恨みもなく、受け入れられるようになった。

きっとわたしにとって
必要なことばかりだったと
やっと振り返ることが怖くなくなった。

産まれるべくして
母のお腹に命を宿し
何事もなくスクスクと育った。

物心つくまでのわたしは
きっと祖父母からも母からも
「愛しい」存在だったはず。
赤ちゃんてそう

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わたしのことを書いてみる


1960.9.23 多分午前中。
おそらく 名古屋の地で。
古ぼけた桐の小箱に入った臍の緒が 母とわたしを繋いでいた証。その時、母は1人だったのか父であろう人がそばにいたのか、それとも祖父母がいてくれたのか、今となってはもうわからない。