見出し画像

幼少期

一番古い記憶。

シングルマザーの道を選び
祖父母と兄夫婦の営む飲食店で働き始めた母。

そこからほど近い小さなアパートにちいさなわたしと暮らしていた。


ある日の夜、わたしを連れてでかける。

ダンスホール(?)というのが正しいかわからないけれど。そんなところへ。

大人たちがお酒を飲む中、ホールの真ん中で小さな女の子は 得意げにツィストを踊ってみせる。
たくさんの拍手や笑い声が嬉しくて。
母が撮った写真のわたしは楽しそう。

そして翌朝。
母はなかなか起きない。
お腹が空いたわたしは キッチンで冷めた白米にお醤油をかけて食べていた。
なかなかの逞しさである。
自堕落な母親。
そんな母を横目に見ながら。
起こしたり 泣いたりせず
ただ お腹を満たしていた。

仕事に出る時、わたしも一緒に祖父母の店に行き
2階の住居か 裏の叔父夫婦の住居にいる従兄弟たちと遊んで 1日を過ごす。
従兄弟の兄は二つ年上
弟は わたしより一つ年下だった。

また日が暮れて 母はわたしを置いて、1人でどこかへ飲みに出たようだ。
呆れた様子の祖母の隣に寝ていると
お酒臭い母が潜り込んでくる。
泣きながら愚痴を言い放ち
わたしを抱きしめるのだが。。。

臭い。

早く終わって欲しいと 寝たふりのわたし。

いい迷惑である。

あの頃の母を後に思う。
「自業自得じゃん!」と。

祖母はいつもわたしに言った。

「まるで鉄砲玉だ」

「あんなふうにならないように!」

まるで呪文のように。

「普通が一番」

普通って、
従兄弟の母のような人?

ちゃんと結婚して
ちゃんと子どもを産んで
ちゃんと同居して
ちゃんと働いている

なのに 子連れで転がり込んできた母やわたしのお世話もしてくれる気の毒な叔母さんのような人なのか...。


「お母さんなんか大嫌い」

わたしは 母が嫌いだった。
小さいわたしには 
祖父母や叔父夫婦の援助がないと生きていけなかった。
その状況が辛かった。
そんな辛さを背負わせて
毎晩のようにお酒に溺れる母を
「大好き」と思った記憶は皆無なのだ。

当然だ。

愛された記憶がない分
愛した記憶もない。

そうなるだろう。

自由奔放で
我儘な 母親。

わたしを産んだのは
父親との繋がりを持ちたかっただけだ。

わたしを盾にして
電話をかけては
「養育費」を請求し
それでまた 遊ぶ母は
どうしようもない大人だった。

そろそろ幼稚園に入る
小さなわたしは 
とにかく毎日、
祖母の後ろに隠れ、
祖父に守られ
叔母の目を見られず
母から逃げて
従兄弟たちに付いて外で遊ぶ

とても「聞き分けのいい」
いい子であった。


それが生きる術だったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?