あんころ

60代を過ごし、子どもの頃の記憶を書き留めたくてここに辿り着きました。 「片親」は「シ…

あんころ

60代を過ごし、子どもの頃の記憶を書き留めたくてここに辿り着きました。 「片親」は「シングルマザー」と言われる時代。離婚は後ろめたいことではないけれど、子どもたちの気持ちはどうだろう。今も母を思うと 子どもだった自分の気持ちが蘇る。 「普通」の家庭に憧れたまま。

最近の記事

今日からひとり。

ある日のこと。 学校から帰ると 母の姿はなく、祖母が待っていた。 「今日からおばあちゃんたちと暮らすんだよ」 何が何だか分からず、手を引かれて祖父母と叔父夫婦の営む飲食店の上の住処へ。 この日から 母は帰ってこなくなった。 事情もわからないけれど 聞いてはいけない気がして 当たり前のように 従兄弟たちとテレビを見て、食事をして 祖母の隣で眠ることになった。 祖父は この頃外へ勤めに出ていて バスで帰ってくる。 (おじいちゃんなら お母さんはどうしたのか教えてくれる

    • 小学生になる頃のこと。

      自由奔放な母と 振り回される両親、つまりわたしの祖父母。 母が身勝手に産んだ小さな女の子は 記憶の中でも 賢い子どもだった。 父親のないシングルマザーなんていう言葉もない頃、 「片親」のわたしは 近所で有名だった。 「可哀想な子」の割に 母は わたしに 「可愛いお洋服」を着せることに喜びを感じ 「父親」から わたしを着飾るための金銭を無心していた。 そのお金で オーダーのワンピースや 数少ないブランドものの子供服を着せ 目新しいおもちゃを買い与えた。 嘘つきなわたしは

      • 幼少期

        一番古い記憶。 シングルマザーの道を選び 祖父母と兄夫婦の営む飲食店で働き始めた母。 そこからほど近い小さなアパートにちいさなわたしと暮らしていた。 ある日の夜、わたしを連れてでかける。 ダンスホール(?)というのが正しいかわからないけれど。そんなところへ。 大人たちがお酒を飲む中、ホールの真ん中で小さな女の子は 得意げにツィストを踊ってみせる。 たくさんの拍手や笑い声が嬉しくて。 母が撮った写真のわたしは楽しそう。 そして翌朝。 母はなかなか起きない。 お腹が空

        • わたしのこと。

          忘れないように。 覚えていることを  少しずつここへ残しておきたい。 いい歳になり、これまでのことを 恨みもなく、受け入れられるようになった。 きっとわたしにとって 必要なことばかりだったと やっと振り返ることが怖くなくなった。 産まれるべくして 母のお腹に命を宿し 何事もなくスクスクと育った。 物心つくまでのわたしは きっと祖父母からも母からも 「愛しい」存在だったはず。 赤ちゃんてそうだから。 小さくて柔らかくて 無防備で。 ちゃんと母乳だか、ミルク高を与えら

        今日からひとり。

          わたしのことを書いてみる 1960.9.23 多分午前中。 おそらく 名古屋の地で。 古ぼけた桐の小箱に入った臍の緒が 母とわたしを繋いでいた証。その時、母は1人だったのか父であろう人がそばにいたのか、それとも祖父母がいてくれたのか、今となってはもうわからない。

          わたしのことを書いてみる 1960.9.23 多分午前中。 おそらく 名古屋の地で。 古ぼけた桐の小箱に入った臍の緒が 母とわたしを繋いでいた証。その時、母は1人だったのか父であろう人がそばにいたのか、それとも祖父母がいてくれたのか、今となってはもうわからない。