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書籍「おもしろい」アニメと「つまらない」アニメの見分け方VS独断と偏見VSダークライ

書籍『「おもしろい」アニメと「つまらない」アニメの見分け方』は個人的には「たぶんそう部分的にそう」な本。

完全に独断と偏見でこの本について話す。この本はある程度正しい気がするけど、これこそが真実だ!とまでは言い切れない印象。完全に主観で話すものの、一応根拠的なことについても話しておく。主観的には、売れているアニメはすべて面白いと思う。

この書籍ではその作品が面白いかは一話で判断できるとしており、
①一目惚れできるキービジュアル
②オリジナリティのある正しい画作り
③ミスペンス(危機のある謎)がある
④解決されない矛盾・もやもやとして残る理論破綻(理論骨折)がない。

となっている。まあ、これだけを見れば「まあそうじゃね?」とも思う。
この本を読んだ当時は。しかし、最近の覇権アニメの傾向からすると必ずしもそうと言えない気がする。特にミスペンスの部分について。

・2022年覇権アニメ(続編は除きます)
「ぼっち・ざ・ろっく!」「リコリス・リコイル」「スパイファミリー」「劇場版スラムダンク」「すずめの戸締り」
・準覇権アニメ
「その着せ替え人形は恋をする」
「機動戦士ガンダム 彗星の魔女」
・特に人気の高かった作品
「明日ちゃんのセーラー服」「サマータイムレンダ」「アキバ冥土戦争」「異世界おじさん」「サイバーパンク:エッジランナーズ」

このうち、まさに①~④をがっつり捉えているのは、「サマータイムレンダ」「サイバーパンク:エッジランナーズ」「すずめの戸締り」だろうか。謎要素が全面押しではないが、「リコリス・リコイル」「機動戦士ガンダム 彗星の魔女」「アキバ冥土戦争」も強めだとは思う。

しかし、「スパイファミリー」はミスペンス要素はあるがそれがメイン要素とは言い難く、「ぼっち・ざ・ろっく!」「その着せ替え人形は恋をする」「明日ちゃんのセーラー服」「異世界おじさん」はミスペンスが見当たらない。

「ぼっち・ざ・ろっく!」では謎と、ぼっち自身の危機がリンクしてはいないし、あとの三作はもはやそういう意味での危機が起きていないとすら思う。

今年のアニメでも「お兄ちゃんはおしまい!」は謎もへったくれもなく、登場人物の危機と視聴者の危機が一ミリもリンクしない作品である。むしろ、この本がいうような読者が感じる危機感と登場人物の危機意識が決してリンクしない画作りがされている。ミスペンスと真逆にあるような作品だと言える。

ミスペンスがなくてもなぜ作品がヒットするのか?

これは「余命系」「ミステリー」「ハラハラする危機」への読者の圧倒的な飽きが背景にあると思う。逆に飽きてきた環境だからこそ、むしろその中でもミスペンスにこだわり、刺さった作品が「サマータイムレンダ」であった印象はある。

Key作品(やそれに近い作品)はこれらの要素にがっつり頼って売れ続けていただけに、かなり新作作りに苦労しているのが伺える。ただジャンルごとひっそりとなった「余命系」と比べるとまだ期待は残っているイメージもある。

ミスペンスが欲しければ、超有名な過去作や、短くて完結する作品が沢山あるわけだし、昔から書かれ続けていたテーマだから、ネタ切れでそもそも要素に飽きてしまっているのだ。それでも売れるなら凄い。

もちろん、そういうミスペンスに飽きた読者の受け入れ先にあるのが日常系やギャグ、コメディ作品になる。が、これらに対するこの本の考察は、限界百合オタクである自分からすると浅い。←多分ここが一番の批判になると思う。

ミスペンスがない作品でヒットを納める方法

ミスペンスがないアニメは、キービジュアルで一目惚れさせた相手だけを掴み、「終わらない共生」を求める作品だとこの本は言っている(ゆるゆりがサザエさん時空だと言っているみたいな話)。この日常系要素と、ミスペンスは相容れない存在だとしている。

しかし、ミスペンスがちゃんとある「リコリス・リコイル」には「終わらない共生」という名の百合要素がガッツリあったため、二期幻想兄貴が大量発生した。

二期おめでとう!

「ぼっち・ざ・ろっく!」は「終わらない共生」を描いていながら、日常系を積み重ねてしっかりとストーリーが展開していく。このため、本来のきららファンを超えて、きららアニメでは最大級のヒット、女の子主人公の深夜アニメでも「魔法少女まどか☆マギカ」や「けいおん!」に並ぶかそれ以上にヒットした。

ある意味、アニメ作品(特に百合アニメ作品)が超ヒットをするには、「終わらない共生=日常系要素」と、ミスペンスの両立(しかし、謎と危機はリンクはしてなくてもいいし、登場人物にとっての危機、視聴者のハラハラは別々でOK、謎はなんらら視聴者側が分かっていてもいい)が大事だと思う。スパイファミリーもこれ。

合わせ要素が全面出しされてはいないものの、「その着せ替え人形は恋をする」「明日ちゃんのセーラー服」も成長物語と「終わらない共生」の両方を描こうする取り組みは見られており、純粋な日常系的ではないイメージがある。

まとめ

面白いアニメに必要な要素は、
①一目惚れできるキービジュアル
②オリジナリティのある正しい画作り
③日常、謎、危機を組み合わせる。これら3つが重なる作品は特に勢いがある。別に単体でも面白いとは思うが、合わさってるほうがより面白がられている印象。
「日常+謎(危機薄め):氷菓」
「日常+危機(主人公にとっての危機であり視聴者にとってではなくてOK):ぼっち・ざ・ろっく!、お兄ちゃんはおしまい!」
「謎+危機:この本がいうやつ」
④もやもやとして残る理論破綻(理論骨折)がない。

こんな感じだろうか。ひとまず、今日書いてみた成果としては、日常系的な要素を謎、危機に重ねたほうが、純粋な謎+危機的な作品よりも受けるというところではないだろうか。ただ今のアニメ流行のような気もする。この方針で進むと、理論骨折さえ避ければ、基本的には危機や謎は結果的に薄くなっても、面白さが失われるわけではないという点。

わりとリコリスはそれをがっつり目指した試みだったようにも思う。そして、リコリス以上にぼっち・ざ・ろっく!がその枠を掴んだ印象だ。

感想:BLOOD-Cは個人的には面白くないアニメだったので(批判されているワンピースの魚人島編のほうが面白かった気が……)、この本を書くひととは微妙に感覚が合わない気もする。とりあえず、本来のストーリー的な流れ(Save the Catの法則など)と、日常系の融合は今後の流れになりそうだ。ぼっち・ざ・ろっく!のリコリス・リコイルのヒットの裏にこれがあったことは確かだと思う。それだけがヒット要素ではなく、今は百合というだけでかなりヒットしやすいほど百合の需要が増えていることや、単純なクオリティなど他の面もあるとは思うが。

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