見出し画像

進撃の巨人とガンダムSEEDで、戦闘行為における「生殺与奪」について考える

✔「生殺与奪」とは

 鬼滅の刃1話冨岡義勇(CV:櫻井孝宏)の「生殺与奪の権を、他人に握らせるな!」という言葉で、一気にメジャーになった「生殺与奪」という言葉ですが、意外とそれまで聞いたことがないという人は多かったようですが、普段使うことのない言葉なので、仕方のない事かなと思います。

 「生殺与奪」とは、他人に対して「生かす」か「殺す」かを決めることで、義勇さんは、生き死にの権利を他人に渡さずに、自分で生きるか死ぬかを決めろ!という意味で言ったわけですね。

画像1

 この「生殺与奪権」というのは、基本的には権力を持つ者が、持たない者に対して「生かすか殺すか」を決める権利を持つことですが、戦いに身を置く軍人であれば、基本的に命の奪い合いであり、相手を生殺与奪について、常に決断を迫られることになります。

 なので、置かれた状況でどのような生殺与奪の判断を下すかは、その軍人の性格や考え方をとてもよく表しています。極端に真反対で比較しやすいのは「進撃の巨人」のガビ(CV:佐倉綾音)とガンダムSEEDのキラ・ヤマト(CV:保志総一朗)なので、この二人を比較します。

✔洗脳教育が性格にぴったりハマったガビ

 ガビは洗脳教育に何の疑問も持たず、悪く言えば自分の出世のことしか頭になく、敵国の人間を何の躊躇なく殺せるタイプの人間です。その分視野が狭く、善悪の概念が非常に歪んでいると言えます。

 自分が一番かわいくて強くて賢い、という絶対的な自信と持ち、尊敬できる人以外の他人は、全て自分より愚かで、意見する資格すらないと思っている、鼻持ちならない性格です。加えて、自分が絶対の正義だと微塵も疑いなく信じている上に、自分が教え込まれた教育も狂信的に信じています。

 それが故に、敵国の人間であれば、軍人だけでなく民間人であっても、自分に親切にしてくれた人であっても、残虐に殺そうとするのですから、決して賢くはなく、思考停止した人間だと言えます。(既出のアニメ時点ではですが)

 そう言う意味では、ガビが馬鹿にしているファルコ(CV:花江夏樹)の方が、善悪の判断がつく上に、状況も冷静に判断できる聡明な人間だと言えます。ガビと違い、洗脳教育を受けても自我をちゃんと保っているのがファルコです。(ファルコはなんでガビが好きなんだろうか…)

画像2

✔人を殺したくないキラ

 成り行きからMSのパイロットになったキラは、純粋に軍人として訓練を受けてきたわけではないので、同一に語ることはできない事は承知の上で比較します。

 ガンダムシリーズの主人公の多くは、民間人から成り行きでMSのパイロットになったタイプが多いですが、一番殺人を嫌った主人公がキラ・ヤマトではないかと思います。

 みみのすけは、実はこういうタイプを見るとちょっと「イラッ」としてしまいます。民間人であるキラには酷な事とは分かりますが、軍人同士の戦闘での命のやり取りと、単なる殺人とは全く意味が違うということを理解しないまま戦場に身を置くことは、戦う本人にも守るべき味方にとっても非常に危険な事なのです。

スクリーンショット 2021-02-24 170805

✔戦闘行為と単なる殺人は全く違う

 どんな状況であれ、殺人自体は最悪だということは重々理解した上で言います。戦闘行為であれば、殺人は正当化されると言う意味でも正しいと言う意味ではなく、戦闘行為においては敵がそもそも殺す気でやってきているのですから、「やらないとやられる」わけです。

 「沈黙の艦隊」「空母いぶき」の作者かわぐちかいじ氏の作品には、そういう理由で敵への攻撃をためらう自衛官もよく登場します。一見、人間であればそういう葛藤は真っ当なものに感じますが、本当にそうでしょうか?

 一度、みみのすけは、自衛官にそのあたりを質問したことがあります。「人間としてそういう葛藤はないとは言えない。でも、そこで自分がためらうと、仲間が死ぬことになり、ひいては国民を守れなくなってしまうから、迷っている暇はない」と答えてくれました。

 むろん、全てがそういう人ではないかもしれませんが、そういう人は多くいるだろうと思いますし、恐らくは、どこの国の軍人であっても、その思いはあるでしょう。

 だからこそ、軍人は、民間人を殺害してはならないし、対軍人であっても、不必要に残虐なやり方はすべきではないのです。同時に、命がけで向かってくる敵に対してためらってもいけない。それができないなら、どれだけ才能があっても、軍人になってはいけないのです。

 人を殺したくないというキラの考えは、一見素晴らしいものに見えますが、味方部隊を守るためにも、その背後にいる国民を守るためにも、非常に危険な考えになってしまうのです。

 コードギアスの主人公ルルーシュ(CV:福山潤)のセリフで「殺してもいいのは、殺される覚悟があるヤツだけだ!」というのがあります。これは、死ぬ覚悟があれば何をしてもよい、良いという意味ではなく、戦いとは、命のやり取りをする者同士であるという覚悟が不可欠だということではないかと思います。

ルルーシュ

✔「命のやり取り」に必要なのは敵への敬意

 ガビは敵への敬意どころか、人権的視点しらありませんが、キラもまた、人道的な意味で敵を殺したくないのではなく、ただイヤというだけです。キラの根底には、自分のコーディネーターとしての高い能力に自負があり、それこそ戦闘においては、生殺与奪権を自分が握っているのだと、無条件に思っているのだと考えます。

 ただ自分が殺したくないから、MSだけ破壊する。あとは知らない、という形に結果的になっていることを考えると、敵に対しての人権的配慮も敬意もないことが分かります。

 軍人が互いに命のやり取りをすることが前提である以上、絶対に忘れていけないのは、敵への敬意だと思います。むろん、無条件に全ての敵にそうする必要はありませんが「優れた敵には相応の敬意を払う」ことができるのは、名将あるいは有能な戦士の顕著な特徴です。

 古今東西の歴史に名を連ねる名将と呼ばれる存在は、必ず持ち合わせていた資質です。民間人への被害は最小限に抑え、自軍の被害も最小限に抑え、敵は最大限に叩く。だが、投降した敵将には寛大な措置を執るか、敵将が折れなければ名誉を保って葬る…これができている歴史上の人物は、歴史を生きてきた人類の数からすると、とてつもなく少ないものです。

 ですが、これができる人間でなければ、本来は命のやり取りをする資格がないのがと、みみのすけは考えます。敵への敬意、人間としての尊厳を守ってあげるということは、必ずしもキラのように「命の奪わない」ということだけではありません。

 キラは結局、単なるわがままで優柔不断で自分勝手な存在なので、そのせいで周囲の人たちを不幸にしていった人物です。そう言う意味では、人間として成長しやすいのは、洗脳さえ解ければ人道的な考え方ができるようになる可能性が高いガビの方が真っ当な人間であると言えます。


 


 

 

この記事が参加している募集

マンガ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?