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「オルタネート」加藤シゲアキ を読んだ

マッチングアプリ「オルタネート」を通して繋がる高校生たち

料理コンテストや調理部が舞台だが、彼らの心の揺らぎや葛藤は大人でも共感できる。味覚という生身の感覚とデジタル空間との対比が面白かった。


具体的に言うと、スマホにある情報を全部オルタネートに提供するの。スマホにはその人のほとんどが集約されているでしょ。どのくらいネットを使っているか、何を調べているか、何を買ったか、どんなSNSでどんな人を見ているか、音楽、ドラマ、映画、スポーツの趣味とか。そういう情報をオルタネートに全て提供して、他のアプリへのアクセスも許可すると、オルタネートがどんどんユーザーを理解していって、より高度的にマッチする人をさがしてくれるの。

加藤シゲアキ「オルタネート」


ネットは情報収集に便利なことも多い反面、使いこなすのは難しいツールだ。使用者のありとあらゆる個人情報は、ネットを通じて企業に提供される。SNSや検索画面を開けば、個人の趣味嗜好に合わせた広告が表示されることからもわかるだろう。

「こういうのが好きなんでしょ」

自分の「好む傾向」を網羅した通販サイトやニュースアプリから差し出される情報には、ついつい手を伸ばしたくなる。「アルゴリズムの奴隷」にはなるまい、と思うのだけれども。

「好きだから付き合ってるていうより、動画あげるために付き合ってるみたいな感じでさ。デートだっていきたいところじゃなくて、撮影しやすいところとか、カメラ通してきれいなところとか、そういう基準になってたんだ」

「一緒にいて楽しいとかじゃなくてさ。もう俺のこと、人気になるための道具だって思ってるんだよ。」
「そりゃさ、たくさんの人が見てくれたら嬉しいよ。だけどそこが一番じゃない~中略~あいつはそうじゃなくなっちゃった。どうすればもっと注目されるか、それが基準になっちゃったんだ

「注目されたい」のは自分の価値を「認めてほしい」から?


「気付いてほしい」「認めてほしい」「注目されたい」「褒められたい」のは人間の本能。だが「映え」「いいねの数」を最優先し、ひたすら求めはじめると、じわじわと何かが狂いだすものだ。

自分が好きで楽しみたいという「内発的動機付け」ではなく、他者の注目を集めることに執心する。他者からの注目や称賛といった「外発的報酬」にこだわるあまり炎上、本来の「好き」や「楽しい」からは外れ破綻したケースはSNSでも後を絶たない。


「起こる事にはすべて意味がある?」

こんなに苦しい思いをしても、人は「その時間が成長させてくれた」とか「大切な思い出になった」などと感謝する。悲しんだり、傷ついたりした時間を無理やり肯定する。
そんなわけない。したくない経験はしない方がいいに決まってる。感謝するのは自分の失敗を認めたくないだけだ。


「起こる事にはすべて意味がある」
というフレーズがある(ジェームズ・アレン/「引き寄せの法則」より)たしか藤井風も言っていたような。

「あの経験があったからこそ、今の自分がある」という発言もよく耳にする。「原因と結果」も理解できないことはない。たしかに失敗から学ぶこともある。その場合は二度と同じ轍を踏まぬよう、慎重になることは大切だと思う。

だが、予期せぬ災害や事故、疾病でも「自分にとってすべて必要な経験だと感謝し、肯定的に捉えるべき」なのだろうか。

人生におけるネガティブな出来事にまで無理やり感謝したり、すべてを受け入れる必要はない。なぜなら、ダメージを負った人間が、すべての物事を肯定的に受け止めるのは、とても難しいことだから。病んだ人間の心の闇は想像以上に暗く深い。


イソップ物語に登場するキツネのように「きっとあのブドウはすっぱいブドウなんだ」と負け惜しみを言ってもいい。お金、健康、愛情、運も手に入らなければ、それは単に今はご縁が無かっただけ。無理やり笑顔でいるより、傷がいえるまでとことん泣いても、沈んでもいい。

心と身体がじわじわと回復してくるまで「明日は、今日より何かひとつでもよくなればいいな」と、日々やり過ごせばいい。人間は忘れる生きものなのだから。傷をいやすには「時間薬」とはよく言ったものだ。

「嬉しい時に何を食べるかよりさ、悲しい時に何食べるかの方が、大事だと思わない?」

これは本当にそう思う。うれしい時に食べたものは、たいてい舞い上がっているからか味を覚えていない。悲しい時のほうが、身の回りのさまざま変化に敏感なように感じる。まさに食べ物や飲み物の味も、じんわりと「沁みて」くる気がするものだ。

完璧なデータとあいまいな感覚 どちらが正しい?


(双頭で生まれた子猫の標本を手にして)「この子たちを見てるとね、いろんなころを考えちゃうんだ。思い通りにいかないこととか、生きることの複雑さとか。科学で解明できないことの方がまだまだ多いんだ、自分ってなんてちっぽけなんだろう、みたいなよく聞くありきたりな思考回路、あれに本当になっちゃうんだよね」

自然界だって完璧じゃないのに、私は人がそれを超えられるとは思わない主義なの。だからその遺伝子レベルの相性ってのにも懐疑的なわけ」

「オルタネート」のデータと自分の感覚では、一体どちらが正しいのか。

オルタネートは収集・分析したデータを提示するのみのツールであり、感情を持たない。データは判断材料にはなるが、最終的に決めたり、選んだりするのは感情を持った生身の人間だ。

結局、テクノロジーの発展でどんな未来が訪れようとも、人知を超えた「何か」や、原始的で動物であるヒトの「肌感覚」には及ばないという気がする。

情報やデータに翻弄される人間の危うさ


「オルタネート」では情報やデータに飲み込まれ、翻弄される人間の危うさを示唆するセリフの数々に感銘を受けた。鋭敏な感覚を持つ人間の未来と可能性に、希望を持っていたいと思う。

「オルタネート」加藤シゲアキ


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