「オルタネート」加藤シゲアキ を読んだ
マッチングアプリ「オルタネート」を通して繋がる高校生たち
料理コンテストや調理部が舞台だが、彼らの心の揺らぎや葛藤は大人でも共感できる。味覚という生身の感覚とデジタル空間との対比が面白かった。
ネットは情報収集に便利なことも多い反面、使いこなすのは難しいツールだ。使用者のありとあらゆる個人情報は、ネットを通じて企業に提供される。SNSや検索画面を開けば、個人の趣味嗜好に合わせた広告が表示されることからもわかるだろう。
「こういうのが好きなんでしょ」
自分の「好む傾向」を網羅した通販サイトやニュースアプリから差し出される情報には、ついつい手を伸ばしたくなる。「アルゴリズムの奴隷」にはなるまい、と思うのだけれども。
「注目されたい」のは自分の価値を「認めてほしい」から?
「気付いてほしい」「認めてほしい」「注目されたい」「褒められたい」のは人間の本能。だが「映え」や「いいねの数」を最優先し、ひたすら求めはじめると、じわじわと何かが狂いだすものだ。
自分が好きで楽しみたいという「内発的動機付け」ではなく、他者の注目を集めることに執心する。他者からの注目や称賛といった「外発的報酬」にこだわるあまり炎上、本来の「好き」や「楽しい」からは外れ破綻したケースはSNSでも後を絶たない。
「起こる事にはすべて意味がある?」
「起こる事にはすべて意味がある」
というフレーズがある(ジェームズ・アレン/「引き寄せの法則」より)たしか藤井風も言っていたような。
「あの経験があったからこそ、今の自分がある」という発言もよく耳にする。「原因と結果」も理解できないことはない。たしかに失敗から学ぶこともある。その場合は二度と同じ轍を踏まぬよう、慎重になることは大切だと思う。
だが、予期せぬ災害や事故、疾病でも「自分にとってすべて必要な経験だと感謝し、肯定的に捉えるべき」なのだろうか。
人生におけるネガティブな出来事にまで無理やり感謝したり、すべてを受け入れる必要はない。なぜなら、ダメージを負った人間が、すべての物事を肯定的に受け止めるのは、とても難しいことだから。病んだ人間の心の闇は想像以上に暗く深い。
イソップ物語に登場するキツネのように「きっとあのブドウはすっぱいブドウなんだ」と負け惜しみを言ってもいい。お金、健康、愛情、運も手に入らなければ、それは単に今はご縁が無かっただけ。無理やり笑顔でいるより、傷がいえるまでとことん泣いても、沈んでもいい。
心と身体がじわじわと回復してくるまで「明日は、今日より何かひとつでもよくなればいいな」と、日々やり過ごせばいい。人間は忘れる生きものなのだから。傷をいやすには「時間薬」とはよく言ったものだ。
これは本当にそう思う。うれしい時に食べたものは、たいてい舞い上がっているからか味を覚えていない。悲しい時のほうが、身の回りのさまざま変化に敏感なように感じる。まさに食べ物や飲み物の味も、じんわりと「沁みて」くる気がするものだ。
完璧なデータとあいまいな感覚 どちらが正しい?
「オルタネート」のデータと自分の感覚では、一体どちらが正しいのか。
オルタネートは収集・分析したデータを提示するのみのツールであり、感情を持たない。データは判断材料にはなるが、最終的に決めたり、選んだりするのは感情を持った生身の人間だ。
結局、テクノロジーの発展でどんな未来が訪れようとも、人知を超えた「何か」や、原始的で動物であるヒトの「肌感覚」には及ばないという気がする。
情報やデータに翻弄される人間の危うさ
「オルタネート」では情報やデータに飲み込まれ、翻弄される人間の危うさを示唆するセリフの数々に感銘を受けた。鋭敏な感覚を持つ人間の未来と可能性に、希望を持っていたいと思う。
「オルタネート」加藤シゲアキ
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