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依存症の父、葛藤しながらも成長する僕。

こんにちは、あまたつです!依存症は身近な存在ですよね。依存症と向き合いながら心の成長を語ります。

依存症との戦いの始めは父のパチンコ依存症でした。5年周期で多額の借金が見つかり、そのたびに引っ越すのがパターンでした。小学生の時、運動会の玉入れを見ただけで、パチンコに行きたくなり途中で抜け出してパチンコに行く始末。

僕が15歳の時、一軒家に引っ越しました。しかしまたパチンコで借金を作り、引っ越すのではないかと戦々恐々する毎日。まるで時限爆弾を抱える状態でした。

17歳になり反抗期真っ盛りの僕は母に「いつまで結婚してるの?別れたほうがいいんじゃないの」と言ったのを覚えています。そして離婚し父が家から出ていくことが決まりました。しかしトラウマからかいつ、どのように父が家を離れた記憶もありません。

父がパチンコで借金を作ってしまうのは子供ながら病気という認識がありました。しかし当時はどうすればいいのかわからないし、何が正解か定かではありませんでした。ただ両親が別れてから大きい借金をしてないのでこれで良かったのかもしれません。

また父はパチンコ依存症だけでなく、軽いアルコール依存症でもありました。普段は温厚な父がお酒を飲むと荒々しい生活になる。ゴミ袋にビール缶が入る音を聞くと苦しくなりました。

パチンコとビールは僕にとって子供ときのトラウマそのものでした。ただ大学生になると父が反面教師で依存に陥ることはありませんでした。

大学生になってから父とは連絡も会ってもなかったです。嫌悪感の塊が僕の父でした。

しかし就職活動がきっかけで父に会うことになりました。就職を意識し始めてから、家族を生活させることの大変さを実感したから尊敬の感情が芽生えました。父の家に出向き、「飲みにいかない?」と言えたのです。お酒を飲む父が嫌いだった父とお酒を飲むのは父のためでした。

僕が父親だったら成人した息子と酒を飲むのは人生の楽しみの一つだと思ったからです。

父の行きつけの居酒屋でビールを飲み合いました。上機嫌でビールを飲む姿を見てトラウマが薄らいでいくのが分かりました。その日が父と酒を飲み合う最後の日になりました。

しばらくして就職活動でうつになり、メンタルクリニックに通い始め精神薬を飲むようになり、お酒を断酒しなければなりませんでした。最後に父とお酒を飲み合ってよかっです。

父とはそれから年に数回焼肉に行ったりしています。依存症は家族を破滅させるほどの影響があります。連絡を取ってなかった時寺の住職さんから、孤独に苦しむ父が自殺未遂をしかけたと聞きました。

父とまた暮らしたいとは思いませんが、定期的に会おうと思っています。

依存症は当事者だけでなく、家族に大きく影響を与えます。もし家族を大切にしたいなら理解も必要ですし、話し合いが大切です。

今回の件で気づいたのは「失った時間は取り戻せる」ということ、父に追い詰められた過去も、父を孤独にさせた過去も生きていれば取り戻せると知りました。

もちろん消せない過去はあるでしょう。
僕は父と取り戻したいと思います。

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