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里国隆さんという奄美の唄者がいらっしゃったそうだ。
「黒声」と称される絶唱、「歌はうまく歌わなくてよい、ただ大きな声で楽しめばよい」という言葉。何かがはじけそうな気がする。
https://open.spotify.com/track/0J6Fez2dbJkYqX08gq14K1?si=a0c2e4204fa5425c
https://amamikke.com/553/
ryuchellさん
当然だが会ったことも話したこともない、もっと言えば生きている間に話題にすらしたことはほとんどない、でも時々YouTubeチャンネルを見るくらいには存在を知っていたryuchellさん。
事務所で倒れていた、と訃報が出た日の朝、喜納昌吉さんの『花』を聴いていて、どうしてもその歌詞がryuchellさんとリンクしてしまって、勝手に感情を揺らしていた。
ryuchellさんが何を思っていたのか想像する
里国隆さんという奄美の唄者がいらっしゃったそうだ。
「黒声」と称される絶唱、「歌はうまく歌わなくてよい、ただ大きな声で楽しめばよい」という言葉。何かがはじけそうな気がする。
https://open.spotify.com/track/0J6Fez2dbJkYqX08gq14K1?si=a0c2e4204fa5425c
https://amamikke.com/553/
Reinventing the wheel
重造轮子
Réinventer la roue
少しでも良くなって暮らせるように。良くなって。
映画の編集では、ミクロとマクロの絶え間ない往還が非常に重要になってくると私は思う。この作業は脳の記憶域を常に使い続けるのでしんどいが、かと言って中途半端にするとその往還は意味を失う。
それでも歌うんだよ、という反論を作品として提示する。
安易に「人間賛歌」は歌えないだろう、きみ。
結局、「これが人間なのです」というのをいかに提示できるかなのかも知れない。
世界に現前するものは、当然、私の価値判断の前に存在する。私がそれが何なのか理解する前にカメラはそれを捉え、簒奪する。理解できなくても、それは写り込む。
「ある概念が『何を意味するのか』が分からないままに『何かを意味しつつある』現場に私たちを召喚し、それに立ち会わせること」
問題を問題と認識する前に、その世界、いや空間、いやなんだろう、わからん。でも、とにかく纏う雰囲気ごと提示していくことが大切なのである。