硯谷釟郎

硯谷釟郎(すずたに/はちろう)です。

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最近の記事

ryuchellさん

当然だが会ったことも話したこともない、もっと言えば生きている間に話題にすらしたことはほとんどない、でも時々YouTubeチャンネルを見るくらいには存在を知っていたryuchellさん。 事務所で倒れていた、と訃報が出た日の朝、喜納昌吉さんの『花』を聴いていて、どうしてもその歌詞がryuchellさんとリンクしてしまって、勝手に感情を揺らしていた。 ryuchellさんが何を思っていたのか想像することはできない。外に見せている姿しか知らないし、事実、私がその姿に見ていたのは楽

    • 渋谷スクランブル交差点脇の植え込みを、スコップを持った一人の男が掘り始めた。 夏の午後、暑い日差しから目を背けてどこも見ずに歩いて行く街の人は、誰も彼に気付くことなく、したがって誰も彼の行動を止めようとしない。 夜になって、スクランブル交差点を中継しているYouTube動画を見ていた人々が、最初に彼に気付いた。 「花壇でなんかしてる」 「緊急事態宣言中なのに人多いな」 「工事やろ」 「穴掘ってるっぽい」 「酔っ払いやっほー」 「まだ起きてる人いる~?」 「落ちます」 「

      • 里国隆さんという奄美の唄者がいらっしゃったそうだ。 「黒声」と称される絶唱、「歌はうまく歌わなくてよい、ただ大きな声で楽しめばよい」という言葉。何かがはじけそうな気がする。 https://open.spotify.com/track/0J6Fez2dbJkYqX08gq14K1?si=a0c2e4204fa5425c https://amamikke.com/553/

        • アップリンク渋谷の閉館

           2021年5月20日をもって、アップリンク渋谷が閉館するそうだ。  高校生のころから幾度となく通った、奥渋谷の狭いビルの中の映画館。最前列のハンモックみたいな席に座るのが好きで、毎回そこを選んで座っていた。『牯嶺街少年殺人事件』も、『久高オデッセイ』三部作も、あの座り心地の良いハンモック席に包まれながら息をこらして観た。  COVIDが昨年から猛威を振るい続ける中、映画館の経営はとても大変なことだっただろうと思う。全く知らない人と2時間近く同じ空間を共にする、という何にも

        ryuchellさん

        • 里国隆さんという奄美の唄者がいらっしゃったそうだ。 「黒声」と称される絶唱、「歌はうまく歌わなくてよい、ただ大きな声で楽しめばよい」という言葉。何かがはじけそうな気がする。 https://open.spotify.com/track/0J6Fez2dbJkYqX08gq14K1?si=a0c2e4204fa5425c https://amamikke.com/553/

        • アップリンク渋谷の閉館

          Reinventing the wheel 重造轮子 Réinventer la roue

          Reinventing the wheel 重造轮子 Réinventer la roue

          「一言で説明しろ」を張り倒したい

           社会人になってから、なぜかあちこちで「一言で説明して」と言われる事が増えた。仕事で企画を提案している際だけに限らず、今後の流れについて話している瞬間とか、専門家から受けたレクチャーを上司に説明しているタイミングとか、言われる場面は多岐にわたるが、とにかく、言われる頻度はとても学生時代の比ではない。最初の頃は、おれの説明能力がクソなのかなあと思っていたのだが(実際おれは説明するのがあんまり上手くないな、というのは何となく自覚しているが)、その後、社会人向け仕事セミナーとか自己

          「一言で説明しろ」を張り倒したい

          少しでも良くなって暮らせるように。良くなって。

          少しでも良くなって暮らせるように。良くなって。

          映画の編集では、ミクロとマクロの絶え間ない往還が非常に重要になってくると私は思う。この作業は脳の記憶域を常に使い続けるのでしんどいが、かと言って中途半端にするとその往還は意味を失う。

          映画の編集では、ミクロとマクロの絶え間ない往還が非常に重要になってくると私は思う。この作業は脳の記憶域を常に使い続けるのでしんどいが、かと言って中途半端にするとその往還は意味を失う。

          それでも歌うんだよ、という反論を作品として提示する。

          それでも歌うんだよ、という反論を作品として提示する。

          安易に「人間賛歌」は歌えないだろう、きみ。

          安易に「人間賛歌」は歌えないだろう、きみ。

          結局、「これが人間なのです」というのをいかに提示できるかなのかも知れない。

          結局、「これが人間なのです」というのをいかに提示できるかなのかも知れない。

          世界に現前するものは、当然、私の価値判断の前に存在する。私がそれが何なのか理解する前にカメラはそれを捉え、簒奪する。理解できなくても、それは写り込む。 「ある概念が『何を意味するのか』が分からないままに『何かを意味しつつある』現場に私たちを召喚し、それに立ち会わせること」

          世界に現前するものは、当然、私の価値判断の前に存在する。私がそれが何なのか理解する前にカメラはそれを捉え、簒奪する。理解できなくても、それは写り込む。 「ある概念が『何を意味するのか』が分からないままに『何かを意味しつつある』現場に私たちを召喚し、それに立ち会わせること」

          問題を問題と認識する前に、その世界、いや空間、いやなんだろう、わからん。でも、とにかく纏う雰囲気ごと提示していくことが大切なのである。

          問題を問題と認識する前に、その世界、いや空間、いやなんだろう、わからん。でも、とにかく纏う雰囲気ごと提示していくことが大切なのである。

          画面の向こうの音

           1年位前から、ある大学のピアノサークルがYouTubeにアップしたあるピアノ演奏の曲を定期的に、かなり病的に何回も聞いている。かなりメジャーな曲なのだが、再生回数はそんなに行って居ない。たぶん私1人で3割くらいは再生回数に貢献していると思う。今も、その曲を左耳に詰め込んだイヤホンから流しながらこの文章を書いている。  この映像の何にそんなに惹かれるのか、いまいち説明できない。画質の荒い映像には、ピアノとそれに向かう大学生のピアノサークルの人物が一度もこちらを振り向くことな

          画面の向こうの音

          「白雲節」の雲

           沖縄民謡の大御所に嘉手苅林昌さんという方がいる。枯節から花が咲くような声と、独特のリズムで三線を奏でる。ノリノリというよりは一音一音が積み重なっていくような拍子で、しかしご本人は微動だにせず直立して演奏するお姿が印象的だ。  タイトルに書いた「白雲節」という民謡は、この方のCDを聞いているときに初めて耳にしたのだと記憶している。  「白雲ぬ如に 見ゆるあぬ島に 翔び渡てみ欲さ 羽ぬ有とて 羽ぬ有とて」(民謡「白雲節」1番より)  音を聞くだけだと何を言っているか分からな

          「白雲節」の雲

          たぶん、たぶんね

          Quizás Quizás Quizás...と有線放送が甘く静かに歌う。 何十年もかけて壁に染み付いた紫煙が、静かにその香りを再び空中に放っている。止まり木についている客は私を入れて3人。2人は真ん中の方に座ってスマホを覗き込んで低い声で喋っている。私は右端に座って、ジャックダニエルの入ったグラスを覗いている。棚には瓶の中に模型の船を組み立てた、ボトルシップが並んでいる。 りん、と入り口のベルが響いて、その人が入ってきた。 「待ったね」と問う口がもう恋しい。 私は黙って

          たぶん、たぶんね