氷河期世代の念が引き起こしていく新たな時代

僕は先日41歳になった。
今の40代は就職氷河期といわれる世代である。
就職氷河期とは長期の不景気やデフレや新自由主義という超個人主義によって弱肉強食化した市場と雇用やまだ現役だった団塊世代のポジション問題等あらゆる事が要因となって未曾有の就職難となった時代に社会に進出した世代である。 
こんな話をすると世論はよく
「いやいや就職難ではなかった、仕事は沢山有った」
と言われるが、僕は当事者として思うのは
「人間扱いされない奴隷のような派遣業は沢山あった」という印象だ。
つまり人間扱いしてくれる、新人にもある程度配慮してくれるマトモな就職先はほぼ無い壮絶な時代である。

そんな時代に20代という青春を過ごしたこの世代は、自己責任論でひたすら責め立ててくる社会に絶望し、恨みを持ちながら歳をとってきた。
彼彼女らはもうすっかり中年である。
やりたいこと、望んだ人生、イメージしてた生き方をすっかり断捨離し終えたか、今している最中であろう。

そして自分等を切り捨てた事で見事に衰退していく国家規模の因果応報を眺めている。

僕も氷河期世代だが、同世代の同じような苦渋を味わされてきた人達は今何を思うのだろう。
まだアイデンティティの喪失に苦しんでいるのだろうか?
社会と同じように家族にも自己責任や自助自立的な精神論を無慈悲に浴びせられた人達は家族と復縁できているのだろうか?
学生時代や新社会人の時代に植え付けられた劣等感は克服できたのだろうか?

そしてこれから自分等にやってくる8050問題や、新世代のうねりによって失われたまま亡き事にされる世代抹消の波にどう思うのだろうか。
僕はまだ悔しい。もうどうにもできないけれど、この歳になってもまだ悔しいという気持ちだけはある。
何かを努力するわけでもない、行動を起こす訳でも無い。ただの何も無い、障害持ちの無力な中年だ。
世間には色んな事を言われるだろうが、しかし悔しいという念だけは確かにあるのだ。

 僕は世界中のあらゆる情勢、運動、思想、文化、つまり人間の歴史を成すこれらはこーゆう不条理の中死なずに生き続けてきた念が生み出すものだと思う。
 このまま氷河期は運が悪いということで無かったことにされて終わるのだろうと思うこともあるが、もう片方で、実はこれからの時代はこれらの念の集合によって生まれる意識の地殻変動が次の人間社会の大きな形を生み出していくのではないだろうかとも思う。
それは人間の出生に関する意識かもしれないし、人間の根本的な営みに関することかもしれない。
ただそれまでとは異なる何かとてつもなく大きな変化がこの世代の大きな念によって引き起こされていってるのではないかという予感がしていて、それはもしかしたら最終的には「反繁栄」というヒトという種の自殺を促す動きにも繋がっていく気がするのだ。