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創作文芸

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#恋愛

ひとり

ひとり

ときどき、無性にひとりになりたいときがある。

特になにをするわけでもなく、濁ったり、透明になったり、世界から切り離された自分を、時間をかけて見つめたい。
よごれた河川に落ちたペットボトルの空き容器のように揺蕩いながら、めぐる思考に流れ流されていたい。
砂浜に流れ着いたとびきりの貝殻を探すように、忙しない日々にまぎれてしまった特別を探したい。

体にぴたりと合ったソファに寝そべりながら、自分に問う

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極彩色の夜に

極彩色の夜に

時刻は午前二時。
向かいに座る男の胸には、いかにも重厚そうな黒いカセットデッキが鎮座している。
男がゆっくりと話しはじめると、それはキュルキュルと音を立て、男の声に沿うようにしてやわらかな旋律を奏ではじめた。

「やさしい音ですね」

「珍しいでしょう。こころに音があるなんて」

人のこころには、それぞれにきまった色やかたちがある。
生まれたばかりのころはまっさらだった胸元のキャンバスに、さまざま

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から揚げ日和

から揚げ日和

すっかりと錆びついてしまった揚げ鍋に油を注ぎ、衣にくぐらせた鶏肉を次々と放っていく。
ほんのりと色づいたら引きあげて、すかさず火を強める。
温度を上げて、もう一度油の中へ。
ジュワっと激しく泡立って、熱をまとった小さな飛沫が跳ねた。

「熱っ……」

指先にぽつぽつと飛び散った油が皮膚を焼く。じりじりと、熱を持つ。

――あ、もうきつね色。

急いで引きあげないと、焦げてしまう。
揚げ物は、時間と

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七月九日の最高気温

七月九日の最高気温

ごうん、ごうん、ごうん。
からからに乾いた畳に寝そべりながら、洗濯機のたてる規則的なリズムに耳を傾ける。
投げ出した脚にさす夏の日差しがぽかぽかと心地よく、熱に触れたバターのように、意識がすうっととろけてしまいそうになる。
――いけない。
いまにも畳に沈みこんでしまいそうな体をぐっと起こすと、少しだけめまいがした。けれど今日ばかりは、眠ってしまうわけにはいかない。
イツキさんが、やってくるのだ。

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さよならハイライト

さよならハイライト

この恋は、きっと爛れる。

あいしてやまなかった煙草をやめて今日で5年と8日が経った。
あれから何度か吸ってみたけれど、いよいよ煙草が苦手だとうそぶけるほどに手放すことができた気がする。
ラムのような甘い香りのする煙と、体に負担をかける17mgのタールを吸っては吐いて。
体のなかが煤けてしまうんじゃないかってほど吸っていたのに、やめるときは意外とあっさり決別できちゃうもので。

いまどれだけすきで

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