見出し画像

もう会えない、大好きな人。

こんにちは、翼祈(たすき)です。
久しぶりに、この話題を話したいと思います。

私は以前前職がもの作りだったことから、ある年から勉強のために、ハンドメイドのワークショップに行くことが日課でした。

年月まで覚えていないのですが、コロナ禍前だったので、今から6〜7年前に出逢って、大好きだった先生がいました。

まだ行き始めて間もない頃に、先生と、先生の作品に出逢って、雷に打たれた様でした。

こんなに綺麗で、華やかなものがあるのか‼︎」と。

すぐ大ファンになりました。

先生は凄く気さくな方で、仲良くなるのも、その1回でなりました。

先生の作品が大好きで、幾つか購入して、それをプレゼントに誰かに渡すと凄く喜ばれて、それで先生に会って、作品を買うために、足げなく通っていました。

先生のワークショップは1回体験しましたが、お子さん向けで、普段先生が作っているものは作れませんでした。先生と、約束しました。

いつか、習いに行きます!

その幸せな日常を変えたのが、コロナ禍。私は基礎疾患があるので、出かけることを、ほぼセーブしました。

その間に、色々変わりました。

先生は前は割と近くに住んでいましたが、引越しして、自宅でレッスンを受けるのは、無理。

たまに来られていた主催のマルシェも、知らない間にもう終わって。

ある日、2年前の夏に先生が出逢った商業施設に、来ていました。それでは、私がやりたかったものが、作れました。

それ以外にも、行きたいワークショップが目白押しで、「行くしかない!」と思って、1日で全てのワークショップを回るために、お金を貯めていました。

当日、母に、「ここに行きたいんだけど、連れて行って欲しい」と言いました。

その当時、その市はコロナが非常に多く出ていた時でした。それを知っていた母は、

ダメだよ‼︎行かせられない」。

その場所は、既往歴の関係で、車の免許を持たない私は、バスも電車もない、両親の送り迎えが必要でした。

母の意見に従うしかなく、「分かった」と、言いました。

後日、先生のインスタから流れてくるワークショップの様子を、悔しい気持ちで観るしかありませんでした。

あの日、行けなくなってから、自分の中で、ワークショップの縁が切れ出したと思います。

他の先生も、一人は今でも来ていてもワークショップの中身が変わったり、もう一人はインスタに浮上しなくなり、開催があるのかも分からない。

大好きだった先生も、この日を境にその場所には来なくなりました。

それでも割と近め、でも車でしか行けない、また別の場所に、全3回の講座の講師に来ていたので、「これがあるから」と、奮い立たせていました。

コロナ禍1、2年→まだ怖い。行けない。
コロナ禍3年、コロナ明け→明けたけど、まだ油断はできない。様子見だ。

そして、一昨日ある用事で、4年以上ぶりに、その商業施設に行きました。自分の中で、「今なら行ける」とも思っていました。

講座のある場所に向かいました。
講座一覧あった。あ、1dayじゃない。短期講座だ。先生の名前は、...…ない...…

先生はいつの間か講師を辞めていました。去年まで、サイトには名前もありました。恐らく今年の春講座が決まる前に、講師の契約をしなくなったと思います。

何となく気付いてはいました。数ヵ月前から、とある飲食店の運営に携わる様になり、インスタの投稿も、その飲食店でのワークショップの告知ばかりになったので。「お忙しいんだろうな」とは。

この講座終了も、公式サイトを観れば、数ヵ月前から分かっていました。でも今年は1回も開いていなかった。自分の中で、行ける日になるまで、この目で確かめたかったんだと思います。

帰宅後、母に言いました。
「今ならやれると思って、講座一覧を観に行ったら、先生の名前なかった。今更言ってもダメだけど、やっぱり2年前のあの日に行きたかったよ…」
「ごめん…。でも行っていいとは言えなかった。貴方を守るためだった。コロナにかかってないから良いけど、かかってたら、大変なことになってたよ!」


私はコロナ禍前は、基礎疾患は「ちょっと面倒だな」位の認識でした。それがコロナ禍で、あらゆるものに、セーブをかけました。

ワークショップと同じ位大好きだったエンタメを観に行くのも止めて、あんなに1ヵ月に10本以上観ていた映画も、今は年に多くて3回。

今年は上半期に3回観たので、もう行かないと思います。

ワークショップも、コロナ禍前に沢山体験していたことで、まだ作ったことのないものの開催もほとんどなく、去年12月に行った時は、本当に作りたかったものが、先生の都合がつかなくなり、出店取りやめで作れず。今年は1回も行っていません。

他の先生にも、「また作りに行きますね」の約束も、何度も何度も二度と叶うことはありませんでした。

本当にコロナ禍になって、基礎疾患があることで、多くのものを諦め、失いました。

今の楽しみは通勤している駅に色んなお店ができて、たまに食べたりする位。今無趣味で、仕事といえ、文章を書くことでしか、自分を癒せるものが無くなりました。

書き続けるしか、心を落ち着かせることができない。書くことしか今の私にはない。

コロナ禍で良かったことは、コロナ禍が無ければ、今のWEBライターの仕事はしていなかったと思う。それ位しか浮かびません。


先生は、私の行ける範囲には今は全く来ません。本当はお会いして話したいし、今の先生の作品も観たい。多分もう会えないと思います。


それでも先生が大好きで、先生の作品からを頂いていました。

「いつか、習いに行きます!」は、果たせない夢になりました。約束を破ってしまい、ごめんなさい。

お名前は出しませんが、今でも大好きです。これからも先生にしか作れない、作品を作り続けて下さると嬉しいです。インスタを観て、遠くから、観ています。

先生、どうか身体を大事に、お元気で。



令和6年9月14日  翼祈(たすき)より。


いいなと思ったら応援しよう!