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【映画感想】真実と事実の違いとは『ジョーカー』

🏆第92回アカデミー賞主演男優賞🏆
🏆第92回アカデミー賞作曲賞(歌曲・編曲賞)🏆

『ジョーカー』
🃏狂気の誕生🃏

こんにちは。藍沢迷あいざわ まよいです。

理不尽な世の中や正論だけではまかり通らない社会への憤り。『ジョーカー』は、現代社会の黒い部分を浮き彫りにしながら、一人の男の狂気と絶望を描き出す。狂っているのは私なのか、社会なのか…

トッド・フィリップス監督の『ジョーカー』は、単なるコミックヒーロー映画の枠を超えた、社会批評と人間の本性を探求した作品である。DCコミックスの悪役として知られるジョーカーの誕生秘話を描きながら、現代社会の闇と個人の苦悩を鮮烈に映し出している

✴︎推しポイント

◆圧倒的な演技力

本作の最大の魅力は、主演ホアキン・フェニックスの圧倒的な演技力にある。彼が演じるアーサー・フレックは、コメディアンを夢見る心優しい男だが、社会から冷遇され、次第に精神を病んでいく。ホアキンは、アーサーの苦悩と変貌を、身振りや表情、そして独特の笑い方を通じて見事に表現している

特に印象的なのは、映画終盤のダンスシーンだ。病的なまでにヒョロヒョロとした体型にも関わらず、赤いスーツを纏った時の存在感は圧巻である。痩せ細った体からは想像できないほど力強く、社会への不満をその身に宿したかのような凄みがある。

ホアキンの演技は、アカデミー賞主演男優賞を受賞するなど、高い評価を受けた。彼の演技なしには、この作品は成立し得なかったと言っても過言ではない。

✴︎社会批評と問題提起

『ジョーカー』は、単なる娯楽作品ではなく、現代社会の問題を鋭く指摘する問題提起作でもある。貧困、精神疾患、社会の無関心など、様々な社会問題が描かれている

アーサーの苦悩は、「普通」ではない自分をどう受け入れるかという普遍的なテーマを提示している。同時に、社会の底辺に追いやられた人々の怒りと絶望を象徴している。

一方で、本作は、バットマンシリーズにおける悪役ジョーカーの誕生秘話として見た場合、一部の観客からは陳腐であるという批判も受けている。これは、アーサー・フレックがジョーカーへと変貌していく過程が、「不幸を他人のせいにする」「暴力によってのし上がる」という単純な図式に基づいているからだと指摘している。

確かに、悪役の起源譚としては、より複雑で予測不可能な展開を期待するかもしれない。しかし、本作の真価は単なる悪役の誕生秘話にとどまらず、現代社会の問題を鋭く指摘し、人間の心理や社会構造の深層に迫る点にあると考えている。

アーサーの苦悩や社会への怒りは、決して一方的な責任転嫁ではなく、複雑な社会問題と個人の心理が絡み合った結果として描かれている。この点で、本作は単純な善悪の二元論を超えた、より深い人間性の探求を行っているといえる。

したがって、『ジョーカー』は悪役の誕生秘話という枠組みを超えて、現代社会の縮図として、また人間の内面を映し出す鏡として評価されるべき作品であると思う。

✴︎真実の多面性

本作は「真実とは何か」という哲学的な問いも投げかける。特に、アーサーが母親ペニーを殺害するシーンは、真実について鑑賞した人にさまざまな解釈をもたらす。

アーサーの母ペニーは、息子がトーマス・ウェインとの不倫の結果生まれたと主張する。アーサーは自分がトーマス・ウェインの息子であると信じていたのである。一方、ウェインはこれを強く否定し、ペニーの妄想であると断じる。さらに、アーサーが発見したアーカム精神病院の記録には、ペニーが精神疾患を患っており、アーサーを養子として引き取ったことを示唆していたのである。

これらの情報に基づいて母親と対峙するが、母親は明確な答えを与えない。この曖昧さが、真実の多面性をさらに強調している。長年の嘘と虐待への怒り、そして自身の「自分は何者なのか」という存在の不確かさに押しつぶされたアーサーは、母親を殺害することを決意し、彼女の人生と彼女の語る「真実」を終わらせる。

確かに、アーサーの立場からウェインの発言や、病院の記録を整理すると母ペニーは嘘をついていたことになる。しかし、この「客観的」な記録さえも疑問の余地があると考えられる。トーマス・ウェインのような権力者が、自身の不祥事を隠蔽するために記録を偽造した可能性も否定できないからである。これは、社会的に認められた「真実」と個人が信じる「真実」の間に生じ得る深い溝を表している。
人は往々にして、自分が信じたいことを真実として受け入れる傾向があるのだ。

この視点は、現代社会におけるフェイクニュースや情報操作の問題とも通じるものがあり、真実の本質について考えさせられる場面であったと言える。

✴︎音楽と視覚効果

ヒドゥル・グドナドッティルが手掛けた音楽も、作品の雰囲気を形成する重要な要素だ。セリフのないシーンでも、不気味で印象的な音楽が観客を引き込み、アーサーの内面を表現している。この音楽も、アカデミー賞作曲賞を受賞するなど、高い評価を得ている。

視覚的にも、1980年代のゴッサムシティの暗く荒廃した街並みが、アーサーの内面世界を反映するかのように描かれている。カメラワークや照明も、主人公の精神状態の変化を巧みに表現している。

✴︎社会階級と正義の相対性

『ジョーカー』は、社会階級による視点の違いも鋭く描いている。富裕層と貧困層の対比を通じて、同じ社会でも階級によって見える景色が全く異なることを示唆している。

特に注目すべきは、「金持ちが人格者とは限らない」というメッセージだ。トーマス・ウェインのような上流階級の人物も、結局は自分の正義を押し付けているに過ぎない。これは、正義の相対性を示すと同時に、社会の分断を浮き彫りにしている。ただし、金持ちであるトーマス・ウェインを悪のように描き出し、富裕層と貧困層の対立を煽っているという見方もできてしまう点は注意が必要である。

✴︎暴力の美化

この視点は暴力の美化という問題にもつながっている。アーサーの暴力行為が、社会に対する正当な反抗として描かれる場面があるからである。特に、地下鉄での殺人事件後、アーサーの行動が一部の市民から支持される展開は、暴力を肯定的に捉えかねない危険性をはらんでいる。

この点は批判的に見る必要がある。暴力を通じて自己実現を果たすというストーリーラインが、現実社会に悪影響を及ぼす可能性を指摘しているのである。映画は確かに、社会の不公平さを鋭く描き出しているが、それに対する解決策として暴力を提示しているようにも見える。

このような暴力の美化は、それを肯定する側と否定する側によって、社会の分断をさらに深める可能性がある。映画は観客に、暴力の是非について深く考えさせる機会を提供しているが、同時に暴力を正当化する危険性も孕んでいるのである。

✴︎狂気と社会の関係性

本作の中心テーマの一つは、個人の狂気と社会の関係性だ。アーサーの精神疾患は個人的な問題のように見えるが、実際には社会の無関心や冷酷さが彼を追い詰めている。彼の変貌は、社会の歪みが生み出した結果とも解釈できる。

この視点は、現代社会における精神疾患や犯罪の問題に新たな光を当てている。個人の責任を問うだけでなく、社会全体の在り方を問い直す必要性を示唆しているのだ。

✴︎まとめ:芸術作品としての『ジョーカー』

『ジョーカー』は、ホアキン・フェニックスの卓越した演技、印象的な音楽、緻密な視覚表現が相まって、観る者の心に残る作品となっている。それは単なる娯楽を超え、社会と個人の関係性、正義と狂気の境界、真実とは何かなど、普遍的なテーマを探求する哲学的な映画でもある。さまざまなテーマを内包した本作は、作品自体が社会的な対話を生み出す触媒となっていると言えるだろう。

✴︎編集後記

『ジョーカー』を見たよという方がいましたら、気軽にコメントをいただければ嬉しいです。

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