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あの頃、すべてに必死だったね・・・11

こんにちは。精神障害ピアサポート専門員愛音です。
自伝的エッセイ「あの頃、すべてに必死だったね・・・」11話になります。
今回書かせていただくのは20歳の話です。
前回17歳の大きな話でこの20歳の話も人生の中でとても大きな話になります。


・今すぐ抱きしめたいよ

20歳といえば成人式。わざわざ嫌で辛い思い出がぎっしりの同級生と高い振袖を着て笑顔で写真を撮るなんて頭にない。
そのはずだったけど、とてもいいアイデアが浮かび祖母と一緒に振袖を見に行くことにしました。電車の中では着てみたいのは赤かな?なんて話をしながら。

着物店には当たり前だけど多くの振袖があってどれを着ればいいのか分からない。とりあえず赤を着せてもらったけど鏡を見ても似合う色ではなかった。じゃあオレンジ?ピンク?黒?どれも似合わず心も動かない。店員さんがあれこれ考えて奥から出してくれたのは青だったが、いい加減私は疲れていました。

帰りたい、一応羽織るけどもうおばあちゃんに帰ると伝えよう。

「あら!愛ちゃん似合う!」
嬉しそうな祖母の声。鏡には確かに赤や黒、オレンジにピンクを着たときとは別の自分がいました。店員さんにしっかりと着せてもらうと、あんなに帰りたかったはずが心が躍りました。
「これにする。それと携帯で写真撮ってもらえますか?」
店員さんに青い振袖姿を撮ってもらうとすぐに母へ送信。返信はすぐに届いた。
【可愛い!今すぐ抱きしめたいよ!】
振袖は無事に12月22日に借りることになりました。


・あい、き…れい

振袖のレンタルを決めて少し経った日。再び祖母と着物店にいました。
「お願いします。青い振袖、早く借りる事は出来ませんか?どうしても早く着たいんです」
半引きこもりだった私が必死になって知り合いでもない店員さんへお願いをしているなんて、なんだか不思議と今なら思うけれど、あの時の私たちにはそんなこと考えていません。
1日でも早く借りたい。1日でも早く借りないといけない。
他のじゃダメ。お母さんが喜んでくれたあの着物じゃないと意味がない。
「12月1日か8日なら…」
「じゃあ1日でお願いします」
即答でした。1日でも早くが3週間も早く借りられるなんて私の人生に神様はいないようで、実はいたのかもしれないです。

12月1日。青い振袖を着て私、父、兄、祖母、は病院にいました。通院している精神科ではありません。
「お母さーん、来たよー」
「……?」
母が、癌治療で入院している個室に集まりました。

保健室登校になった翌年、母に癌が見つかりました。手術と入退院を5年も繰り返していたんです。
「あのね。早く元気になってほしいから、お母さんに内緒で早く借りたの」
ベッドに横になっている母は目がうつろで、点滴やよく分からない線が体に繋がっていました。体が動かない母は、それでも目を一生懸命に動かして一言。
「あい、き…れい」
よかった。今すぐ抱きしめたいと思ってくれた振袖姿を見せられてよかった。
綺麗と言ってもらえてよかった。3週間も早く借りられてよかった。
看護師さんに頼み沢山の家族写真を撮ってもらいました。
「じゃあまた来るよ。バイバイお母さん」

その3日後の朝。母は家族みんなに囲まれて祖父のいる天国へ逝きました。

振袖を着たら母が元気になると思った。
心に元気をあげたら体も元気になる。

でも12月22日まで母がもたないかもしれないことを知り、祖母と1日でも早く借りるため着物店へ向かった。
もしも、もしもあの時「8日にします」と言っていたら。一生悔やんだ。
最愛の母からの最期の言葉。

―あい、きれ…い


・抜け落ちた記憶

12月3日の夜から母を看取った4日の朝まではよく覚えています。
夜は母の手を握りしめて「行っちゃ嫌だよ!お母さん!」と何度も涙交じりで言いましたが、4日の明け方には心のどこかで「お母さん、死んじゃうのか…」と思っていました。そして家族が悲しんでいるとき、なんと私は祖母に「売店行ってくる」お腹が空きツナマヨおにぎりとおかかのおにぎりを買って食べていたんです。

ただこのおにぎりを食べた後の記憶、一切ありません

どうやって家に帰ったのか、祖母が言うには一緒に母を寝かす布団を引いて、母の友人が来て泣いて、私はその人たちと話もしたようですが、今でもなにも思い出せません。

覚えているのはお葬式の場面まで飛びます。兄の隣に座って終始泣きっぱなし。兄が強く手を握っていてくれました。

人はショックなことが起こると無意識に記憶を消す、なんて聞きますよね。私にとって人生で一番辛かったのは、不登校でも、障害でも、自分勝手な解放よりも、母を亡くしたことだった…。


・強くなる

母を亡くししばらくして1つ決意をしました。

―強くなる、お母さんは一生私が下を向き生きるなんてこと望むはずない

そう思ったのは母の言葉があったから。何度目か分からない退院していた母がいるところで「死にたい、消えたい、全部終わりにしたい」など自分勝手なことを散々言っていたときに「愛には悪いけどお母さんは生きるよ。死ぬ死ぬ言ってる娘遺して、死ねる母親だと思っているの?」と言われたことがありました。
母は私の何倍、何百、何千倍も生きることを望み諦めなかった人です。

その娘として何ができるのか?

不器用でいい、カッコ悪くていい、
とにかく生きてやる、お母さんの分まで生き抜いてやるんだ!


・【私】へ

【私】へ
あの頃、すべてに必死だったね。最初はクラスと闘ったりしたけど、心がガラガラ崩れて、保健室に逃げたら温かい先生がいた。その先生とはすぐお別れしちゃったし、児童相談所ではショックなこともあって今の精神科に通院開始。主治医からの頑張れ禁止は嬉しかったなあ。

あと左腕と背中に傷作ったけど、今思うとアレって生きたくて、生きたくて、でもそれが難しくて葛藤した感情の表れじゃない?

なんだかんだ言って【私】も生きたいんだよ。

安心してね、もう命消したりしないから。
だってさ【私】があの頃、すべてに必死だったから体も命もしっかりあるの。それを消すなんてしません。
ありがとう。大事な命と感情を必死に守ってくれて
お返しに、ここから先も充実感のある人生にしてみせるよ!!
大好きだよ【私】

あの頃、すべてに必死だったね・・・【完】

*愛音*

「あの頃、すべてに必死だったね・・・」今回で完結です。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
不登校や心の病気は遠くの話じゃないんです。誰にでも起きる事になります。
この連載を通して少しでも現実を知っていただける機会になったのなら、書き続けてよかったです。

ちょっと休憩を入れてから続きとなる自伝的エッセイ「すべての偶然を愛している」を書く予定です

あの頃~を1話から読みたい方、マガジンから読めますよ♡


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