コーチの私がコーチングを受けたら、やり直しを始めた私に気づいた
ドイツに暮らし始めて半年が経とうとしています。毎日を必死に生きていると、過去のことは忘れそうになりますが、確かに私は半年間ここにいます。
それで、最近はいろんなことが大きく動いています。仕事、旅行、人間関係。このあたりが大きな変化でしょうか。
そう、この数日の間に恋が1つ始まりました。
と言いながら、こちらの人たちの感覚と、私が持つ日本の感覚は違うので、ほんとうにそうなのかまだ疑っているのですが。
私の内面のこと、周りの誰かとの関係性、それぞれに変化が起きています。そんなことを言葉にした、今回のコーチングセッションです。
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どうやら恋が始まったらしい
こんなふうに書いてしまって、いや実は違ったよとなったら恥ずかしいのですが、どうやら恋が始まりました。今回は片想いではないものです。
これは私のドイツでの暮らしにおいて大きな体験なので、もし後からそうじゃなかったとなったとしても、そのまま書き残しておこうと思います。
というのも、私はこれまでセクハラによるトラウマのことを書いてきました。少し前にはトラウマについてのnoteマガジンも作ったほどです。
セクハラの体験は、私の人生においてすっごく大きなことなのです。3年以上経ったいまも、この時のことに苦しんでいます。
その体験を、私は彼に話しました。なぜだかわからないけれど、聞かれたので答えました。どんなことがあって、だから私は男性が怖いという話を。
それも含んで、彼はとっても大事に距離をとってくれました。
一緒にいて怖くないし、落ち着いてゆっくり話ができて嬉しい。だから私は、この人と一緒にいたいと思いました。
誰とも対等であること
新しい恋の始まりや、それを母と弟に伝えたこと、あとは最近行った旅行のことを、私はコーチに話しました。
自分でもどこに向かう話なのかわからなくなっていたけれど、こういう時は話したいことを話しながら、信頼するコーチに任せればいいのです。
そうして話していたら、印象的な問いをいくつかもらいました。
どれもハッとする問いで考えこみました。考えこんで答えたのはこんな言葉たちです。
対等であるというのは、最近私のまわりをチラついていた言葉です。日本では男性と女性は対等ではない、そんな文脈で多用していました。
これは、私の体験としてそう思うものです。
だけど一方で、もしかすると私のなかにも「対等に見ない」フィルターがあって、だから変な結果を引き起こしていたのではと思いました。
何かに出くわしたとき、「対等に見られない」ことにばかり気がつく。私も私で、「私は相手に対して対等ではない(=下である)」と思ってしまう。
自分が相対的に上であることも下であることも、それぞれに居心地の悪いものです。それなのに、無意識なフィルターを手放せずにいました。
やり直しを始めた私に気づいた
私はどうやら、「対等」という軸でやり直しを始めました。
家族との関係性、恋人のこと、ベルリンでの友人たち、お仕事での関係性。すべてにおいて「対等」がキーワードになるのだろうと思います。
「対等」であることに必要なのは、「お互いに評価をし合わない関係性」です。評価がある場では、私はどうも対等にはなれません。
お互いを評価し合わず、ただ自分としてそこにあり、対等に話をする。そんなことを、私はイマココでやり直し始めたようです。
イマココの私は、対等な関係性からたくさんのことを受けとれるようになり、心がとても満たされています。
いろんな思考をすぐに忘れてしまう私なので、またいつでも読み返せるように、ここにこうしてアンカーのように置いておくことにします。
私はいま心が満たされているというこの体験を、忘れずにいたいのです。
▼最後にお知らせ
コーチングセッションをドイツからZoomにて提供しています!
「aimiの言葉に共感する」「aimiという人物になんだか興味が湧く」と思ってくださる方、お力になれることがあるかもしれません。
セッションの詳細はこちらをご覧ください☺️
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️