熊本の地が私を育ててくれた
やっと書ける。
そう思って今、パソコンの前で手を動かしているわたし。
NOTE公式の#人生を変えた出会いのお題を見て、ふと浮かんだのは人生をあきらめていた私が180度変わった出来事だった。
でもすぐには書けなかった。
自分の核となるこの話を文章にするには辛い思い出を引っ張りださないといけないから。本当に苦しくて半分くらい思い出せるかわからないもの。それでも書きたいと思ったのはわたしを陰で支えてくれていた多くの人に少しでもこたえられる自分でいたかったから。
どんな結末になるのか分からないけれど、少し私の物語に付き合ってください。
私は今熊本県に住んでいる、生まれたときは愛知県の佐織町というところにいた。今は町が統合されて愛西市となっている。16歳で熊本に引っ越してきたのは両親の離婚が理由。私の人生を変えた出会いは「熊本」という場所だった。
母の故郷は県南の隅っこのほうにある芦北というところだった。子供のころには帰省し訪れてはいたけど、見渡す限り海と山、コンビニだって隣の部落に行かないとないくらい。買い物はもっぱら町の小さなスーパー。買いに来ている人がみんな知り合いみたいな状態、佐織町も都会に比べれば田舎の方だけど、ここはもっとヤバイ田舎だ!!
私はここでやっていけるのか・・・そんな些細な後悔をした。本当は引っ越したくはなかった。幼稚園からずっと遊んでいた友達もいた。友達は多いほうではないけど毎日何でもない話ができる友達もいた。何より小さいころから慣れひたしんだ町を手放すことは並大抵な決断ではなかったと思う。どうして決意をしたのかというと、母は一足先に故郷である熊本に帰っていた。上の弟は母を追いかけるようにその年の12月に行ってしまった。愛知には私と6歳になる弟と父親の3人。こんなことになってしまったのはすべて父親のせいだった。
私の父親は一言で言うと「反面教師」。ギャンブルとゲームが好きで、ちょっとのことでキレては母に暴力をふるっていたどうしようもない親だ。ある日、些細な母の言動でキレた父は運転していた車をとめ母を引きづり降ろしてアスファルトの地面に叩きつけた。頭を強く打った母は目がうつろになり、頭を押さえながら車に乗り込む。これまでも暴力を振るっていた場面は見ていたけれど、今の状況を一部始終見ていた私は、
「これ以上一緒に居たら母は殺される」
と、思った。
自宅に帰って、険悪なムードの中「出てけ」と言われた母。私は「あとは任せて、出ないと殺されるから」と母を駅に向かわせたのだった。これから地獄を味わうことも知らずに。
DV夫の父は落ち着くと妙に優しくなる。何度も母を傷つけてはほとぼりが冷めた後には平謝りして許してもらっているのがいつものパターンだ。けれど今回はもう母が戻ることがなかった。
無事に(?)熊本に辿り着いた母からのメールでそっと胸をなでおろした。
母がいなくなってからは、お金が無くなりご飯が食べれなくなったり電気がつかなくなったりと生活はままならなくなった。それに加えDVの矛先は私に向けられ、言葉の暴力を毎日のように浴びた。「お前なんか俺の子供じゃない」とか「(下の弟)に近づくな」とか。私は精神が崩壊して家に帰れなくなってしまった。そんな時に調停離婚の裁判のために母が名古屋に出向く機会があり、父から逃げるように熊本に向かった。
こんな家庭環境だったので、将来の夢とか希望なんてなかった。人並みに高校を卒業し、結婚するそれくらいだ。父親が子供だったせいで私は少し早く大人にならなければいけなかった。何でも受け入れて、感情を出さずに静かに耐える・・・人生なんてこんなもんだと空が私を蔑んでいるようで地面を見て歩くしかなかった。
自然が多く時間がゆっくり流れている熊本での生活を過ごして、平和な時間が流れていた。相変わらず方言は理解できず、通訳人の母に聞いて解釈する毎日だったけど、自由を手に入れた。私は高校入試を再度受験し地元の高校に進学した。私服での証明写真がついている受験票、先生たちは馴染んでくれるのだろうかと心配していたそう。担任の先生は私が馴染めるようにたくさん声をかけてくれていた。学年主任の強面の先生は内緒でバイトをしていた私を呼び出し「ハンデがある中で頑張っていることは知っているんだからちゃんと手続きをしてから真っ当にバイトをしなさい」と温かい言葉をくれた。友達に裏切られ、これからは1人で過ごそうと啖呵を切った私に「1人になりたいなんて言わないで、あいかもちゃんを心配している人はいるんだからね」と真剣に叱ってくれた家庭科の先生。高校時代に接した先生たちはちゃんとした大人で子供の私を見ていてくれていた。
温かい環境の中で生活していた高校3年生、看護師になりたいという夢が出来、専門学校を受験するため猛勉強をした。定時制ではあったけど看護学校に合格して進学できた。5年後国家試験に合格した。
熊本にこなければ全部成しえなかったこと、この地に来て等身大の自分に戻ることができ、人生をそむくことなく真剣に向き合えることが出来た。
熊本の人々が私を変えてくれた。
本当に本当に感謝しかない。
熊本の病院で看護師として働き、主人と知り合って結婚し夫婦として生活している。来たばっかりは通訳してもらわないとわからなかった方言にもすっかり染まり熊本人となった私(笑)。これからも熊本の地でのびのびと人生を過ごしていくに違いない。
私を育ててくれた熊本の人々に恥じないように今日も生きていく。
追伸:記憶をたどりながらの乱文だったのに最後まで読んでくれてありがとうございました。スキを押してくれた人は物好きですね(冗談です。私もスキです笑)。コメントをくださった方は真心を込めて返事をします。フォローしてくれた方のNOTEものぞきにいきます。
最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!