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「でんでらりゅうば」 第16話 

 さいばあの家を出たあと、安莉はその足で大森神社を訪ねてみた。村に一本だけ走る通りを北のほうへ抜けていくと、昔村の入口だったという寂れた木組みの門の跡がある。そこを出て更に野道を行けば、神社の入口の鳥居に辿り着く。ここは安莉の住むアパートとは村を挟んで反対側に当たる場所だった。阿畑に連れられて初めてアパートのある高台に上った日、村の向こうに黒い森のように見えたあの鬱蒼とした木々のなかに隠れるようにして、神社はあった。
 原木を使って作られたらしい古い鳥居をくぐり、十段ほどの石段を上がって、安莉は神社の前に立った。
 一見したところ、あまり大きな神社ではなかった。いつ作られたものか、鳥居の側には一対の苔むした狛犬の像があって、瞳のない石造りの神の守護者たちは、厳しさを感じさせるほどの無表情で参拝者を迎えた。
 狛犬の横にある手水ちょうずで手と口を洗い、作法に従って参拝をする。境内は狭く、こぢんまりとしたお堂のような社殿の前に立つと、古ぼけて赤銅色に色の変わった鈴といつの時代からのものかわからないほど、これも色の変わった賽銭箱があった。安莉はその賽銭箱に百円玉をひとつ放り込んで、鈴を鳴らし、礼をし、手を打った。
 神社は静寂そのもののように、ひっそりと静まり返っていた。耳に聞こえるものといえば、周りの森を吹き抜けて枝葉を揺らす風の音、木から木へ飛び渡っていく小鳥やそれ以外の、例えばフクロウやモモンガのような生き物の立てる密やかな音だけだった。
 
 カサ、と、落ち葉を踏む音がして振り返ると、そこに澄竜が立っていた。黙ったまま、こちらを凝視している。
 驚いた様子の安莉に澄竜は、
「ああ、びっくりしたな。脅かしてすまん」
と言って近づいてきた。
「俺も誰がおるかと思ってびっくりした」
 ジーンズのポケットに手を入れたまま、下を向いて神妙そうな顔をしている澄竜に、今度は安莉が謝った。
「いえ……、私のほうこそ、ごめんなさい」
「お参りに来たと?」
 上目づかいにこちらを見る澄竜に、少しどぎまぎする自分を感じながら安莉は言った。
「そうなの……。この村に来る前に下の村で一泊したときに、一緒に温泉に入ってたおばさんたちが教えてくれてね。ここにはとても古い由緒ある神社があるから、いるあいだに一度訪ねてごらんって言われてたから……」
「ふーん……」
 気のなさそうな返事をしながら、澄竜は自然な仕草で安莉をいざない、二人は社殿の前の階段に座った。
「確かに古い神社たい。俺たち、、、が生まれたときには、もう今と同じくらい古ぼけとったけんね」
「古ぼけとったなんて、言葉が悪いよ」
 安莉がたしなめると、澄竜は改めてすまん、と謝った。
「俺あ育ちんせいか、こげん言葉が悪いっとたい」
 開き直るような言い方で、澄竜は言った。その横顔を見ながら安莉は黙っていた。
 澄竜の整った美しい顔を眺めていると、胸が鼓動を打ってくるのを感じたが、それと同時に、言葉では上手く言い表せないが、なぜか哀しさに似た感情が湧いてくるのを安莉は感じていた。
「多分、方言のせいなんだろうね。よくわからないけど」
 沈黙を破って安莉が発言したとき、こう言ったのを、澄竜は聞きとがめた。
「どういう意味ね」
「澄竜さんは、言葉が悪いのかもしれないけど、それ以外はそんなに悪くないんじゃないかなって」
 聞いていた澄竜は、急に照れ臭そうな顔になって、所在なさげに顔を左右に振りながら目をしばたたいた。そして言った。
「初めて名前で呼んでくれたね」
 形成を逆転するかのように、優しい表情をして、澄竜は安莉を見つめていた。恋の手れでもあるのだろうか、突然雰囲気の変わった澄竜の視線とその距離の近さに改めて気づいた安莉は、顔を赤くして少し身を離した。恋に優劣を競う争いがあるとすれば、間違いなく澄竜のほうが優れていた。
「さっき、〝俺たち〟って……」
 話題を変えようと、安莉は先ほど気になったことについて聞いた。見かけたことがないが、澄竜には兄弟がいるのだろうか。
「ああ、そうたい。俺には兄貴がおるったい。それも双子の」
「そうなの?」
 こともなげに、むしろ投げやりなほどに言い放つ澄竜に、安莉は少し妙な印象を受けた。
「そうたい。体ん悪うしとるけ、一緒には住んどらんけどたい」
 意外だった。澄竜に双子の兄弟がいたなんて。
「こんすぐ裏に、俺の住んどる家があるったい」
 今度もまたこともなげに澄竜は言った。
 澄竜はこの神社の裏にある、大きな屋敷に住んでいた。村で一番大きな建物で、元々この村の始祖である大森家が建てたものだったが、いつの世代だったか、本家である長男が古森ふるもり家に分かれ、分家の次男が星名せいな家をたまわってからは、財産持ちだった星名家がこの家を維持・管理するようになったとさっきさいばあに聞いていた。
「やけん、生まれてからずーっとこの家で暮らしとったいね。でも兄貴とは、ほんの小さいころに別れて、それっきりたい。家んもんの話やと、この村のどっかの別棟に、隔離されて暮らしとうらしいけどたい」
「何の病気なの?」
 興味が湧いてきて、安莉は聞いた。知らん、と素っ気なく澄竜は答えた。
「双子のお兄さんだから、やっぱり澄竜さんとそっくりなのかな?」
 無邪気に聞く安莉に、澄竜はあきれたようにせせら笑いを返した。
「そっくりなわけなかろうもん! 星名は竜のそんたい。竜の孫で双子が生まれっと、必ず両極端なんが生まれる。どっちかは優れとって、どっちかはできそこない、、、、、、よ」
「……じゃあ、澄竜さんが優れていて、お兄さんができそこない、、、、、、、ってこと……?」
 安莉は少し不快な心地になりながら、聞いた。実の兄のことを、よく人前でそこまでおとしめられるものだ。澄竜は鼻を鳴らしながら、さげすむように顎を上げて視線を落とした。
「そういうことになるったいね。……家んも、皆そう言いよるったい。俺はそげん言うて育てられたけんね。……竜の孫に双子が生まるっと、……どっちかしかできんとよ」
 安莉は澄竜の瞳のなかに、頑なで傲岸ごうがんな光がきらめくのを見た。

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