努力せずにできる事があっても良い
前回の記事の続きです
部下に対して努力を前提条件にする必要は無い
今回のお話、メインはこの一言です。
皆努力が大好きです。私も大好きです。
でも、努力しなくてもできる事があるならそれでもいいし、プラスアルファで無理して努力させる必要は無いと思っています。
天才であっても「努力しました」と言わないといけない雰囲気
スポーツ等の報道でよく、「〇〇選手は才能だけではなく、誰よりも努力したためこの結果を出す事ができました」と、必ず努力をセットでつけているように思えます。
逆に「〇〇選手は努力は人並みですが、溢れる才能と効率的な練習によってこの結果を出しました」と言う話は全く聞きません。
仮にそういった話が有ったとしてもひんしゅくを買ってしまう空気が、昔からあるように思えます。
でも先日お話したように、誰よりも努力したなんて中々判断ができないですし、努力の量だけで全てが決まるなんて事も無いと思います。
知人がぷよぷよを初めてやった時の話
ぷよぷよというパズルゲームがあります。(ゲームの詳細は省略します)
このゲームを知人とやったのですが
この知人、びっくりするくらいIQが高く、とある高IQ集団に所属しているという噂でした。
結果は私のボロ負け、、
何度挑んでも全く勝てませんでした。
私はぷよぷよは小学生の頃に結構遊んでいて、割と友達の中でも上手い方だと思っていたのですが、どうしようもなく完敗しました。
別の努力の副産物というケースも
[一瞬の風になれ]という漫画があります。
主人公の神谷は、サッカーの天才である兄に憧れてサッカーを始めるも、兄のような才能は無く、中学の部活では全く活躍できない。
兄と比較される中、神谷はサッカーに必要な〔走る〕事だけを、わびるようにひたすらやり続ける。
でも結果は出ず、神谷は高校から陸上を始める。
すると、幼い頃からサッカーの為に走り続けてきた才能が開花し、トップ選手になっていく。
そんなお話です。
仮に目の前の誰かかが努力無く何かをこなしたとしても、実は別の努力の副産物として、才能を与えられていたというケースもあるという例です。
努力してもできない事があっても良いし、努力しなくてもできる事があっても良い
私は努力の有無ではなく、できる事がある事は素晴らしいし、できない事があっても良いと思っています。
もちろん、社会生活上致命的な点ができない場合は何とか折り合いをつける方法を探る必要はあると思いますが、少なくとも皆ができる事だからと言って自分の部下もできるようにさせなければならないという事は、意外と少ないと思っています。
理想はただ夢中になれる事ができている状態で、そこに厳しさや苦労をセットにする必要は無い。
私が就職活動をしている時、よく「仕事は苦楽しい」と言う言葉を耳にしました。
「仕事は苦しいけど楽しい。そういう職場って素敵ですね」という文脈です。
確かに仕事をしていく中で、苦しいことは沢山ありますし、苦労とやりがいがセットになる事はあると思います。
ですが、せっかく楽しく仕事ができている状態で、敢えて苦しさを求める必要は無いですし、苦しさが勝っているなら、それを減らす選択をする事も正しいと思います。
特に発達障害の部下に対しては、上司が与えていると自覚している何倍も苦労を感じているケースがあります。
もちろん、特別ラクをさせるという訳ではないですが、発達障害部下に対して努力をさせるなら、〔苦労〕とどう付き合わせるかという視点はとても重要になると思います。
そして何より、何かしら夢中になれる事を与えてあげられる事が理想だと思います。
例えば誰も知らない話やアイディアを集めて組織にシェアさせる事。
既存の概念を組み合わせて新しい発想を、思いつきベースで良いから発信させる事
誰もが気を遠くするような大量の業務を一人で延々と任せる事。
※この辺りは人それぞれなので、あくまで一例です
部下の方が夢中になれるポイントを見つけ、それを以て組織に貢献させる。
苦労に対する耐性をつけさせるより、その方がより良い関係を築く事ができる。
私はそう考えています。
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