成長はしなければならないもの?
昨日の記事の続きです。
私自身、長い事「成長しなければならない」と思い続けていました。
私にとっての成長の定義は、〔今できない事ができるようになる〕事でした。
〔成果〕を成長の物差しにしなかったのは、営業だと結果は水物な部分があるからだと思います。
ですが、今は極力成長というものを意識しないようにしています。
もちろん、自分のミッションをこなす為に必要なスキルは習得したいと思っていますし、好奇心に基づいて色々な勉強もしたいと思っています。
でも、極論を言うとミッションさえこなす事ができれば良いので、そのスキルが本当に必要なのか考えたり、誰かできる人にお願いするといった迂回ルートを選ぶ事も可能なのです。
もちろん、スキルを習得すればそれを別の形で応用する事もできる為、スキル習得自体は非常に魅力的ではあります。
ですが、それはあくまで手段であり、目的ではない。
ましてや、成長できない自分を責める必要は無いと思っています。
成長を目指し続け、自分を責めた時間
私自身、成長を求め続け、成長できない自分を責め続けた時間が長くあります。
ですが、それについてはあまり後悔はしていません。
お蔭で成長を意識しなくても必要な努力を主体的に行う事ができるようになりましたし、これは私が生存する上で非常に大事な能力だと思っています。
ただ、それをもって「成長を目指す事は良い事だ」と言うつもりはありません。
成長を目指した過去は、私にとってはあくまで失敗した時間です。
ですが、失敗した過去であっても、そこで得たものを棚卸すると、意外な発見がある。
その上で、今の自分が何を求めるか。
そこにフォーカスを当てる事が大事だと思っています。
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