![図2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/11916149/rectangle_large_type_2_8f03567130ef489f5a76bede75abfbf2.png?width=1200)
発達障害と[闘う]?
この言葉、どう思いますか?
まず、話題のきかっけになったツイートをご紹介します。
あんま闘いたくはない。 pic.twitter.com/sRa4FSXSWd
— こー (@kotart90) May 21, 2019
〔障害と闘う〕と言うテーマで本が並んでいて、それを見た当事者の方の感想でした。
この呟きがかなり拡散されたようで、あの乙武洋匡さんにも言及して頂いたようです。
私がこのコピーについて思う事
まず、このコピー自体は書店員さんの善意や努力の結果だと思いますので、それを批判するつもりは全くありません。
むしろ、こういう事に対して関心を持たない人や、より良いコピーを追究する気が無い人の方が面白味が無いなぁと感じてしまいます。
akatokioは発達障害と闘っていないのか?
私の中では発達障害と闘うという意識は全くありません。
なので、上のようなコピーはあんまりピンとは来ないです。
私の感覚では、発達障害を〔利用する〕なんですが、これをコピーにしてしまうと非常に誤解を生んでしまう 笑
でも、自分の特性に助けてもらっているという感覚は非常にあります。
毎日決まった時間に起きて決まった時間に出社する事、noteを毎日更新している事。
これらは私の発達特性が可能にしてくれています。
また、アウェイの場に一人で乗り込む事、人前で臆さず話す事ができる事。
これも私の特性によるものです。
特性上のマイナスはもちろんありますが、それも含めて自分の発達障害をマネジメントしているという感覚です。
そういう意味では、発達障害を〔飼い馴らす〕という感覚にも近いかもしれません。
発達障害を自分と別物として切り分けできない。
先日、性格診断と発達障害についてお話しましたが、私は自分の性格を形づくるものの一つとして発達障害を位置付けています。
その為、発達障害と自分を別物として分ける事ができません。
もし私が発達障害と闘おうとするなら、それはそのまま自己否定になってしまい、自己肯定感を損なう事になってしまうでしょう。
イメージ、自分の影を一生懸命踏みつけようとしてる感じに近いかもしれません。
身体と影はかならず接点があり、その姿形は異なっていても自分です。
それは発達障害に限らず、自分のパーソナリティに関するものとは、極力闘わないスタンスでいる方がヘルシーだと思ってます。
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